2020年5月19日火曜日

もののけ と ウィルス



もののけは、験者によって祈り伏せられて、正体を明かしてしまうと力を失って、消え去って行く。

これはつまりウィルスと同じですよね。正体をつきとめることができれば消滅させることが可能になると言うことですから。2020年に生きる私たちを苦しめている新型コロナもその正体が明らかにならないが故に消滅させることができない。 

源氏物語の時代、人々は病気はすべてもののけによって起こると思っていました。そしてそれは他の人にうつるとも考えていました。ですから、同じ屋敷の中で死者がでると、死穢(しゑ)に触れたということで、忌に籠らねばなりません。宮中への参内はもちろんできず、人と間近で会う事も避けなければなりません。
 
静岡市宇津の谷トンネル

病気や死が感染力を持つウィルスによるものである可能性があると仮定すれば、この王朝人の意識と行動は実に理に適っているわけです。
いくつか源氏物語の中から例を挙げましょう。

夕顔の巻で夕顔が突然息絶えてしまった時、源氏の君は自分の身の危険も顧みず、彼女を抱きかかえたと書かれています。
つまり、もののけに襲われている=病に襲われている人に触れることは危険な行為だと認識されていたわけです。そして、その後、源氏の君は実際に寝込んで衰弱し、一か月余り公の場には出なかった。
心配した帝の使いの者とも顔を合わせることなく、親しい頭中将だけに、御簾を隔てたままで会いました。そして、思いがけない穢れに触れたので参内できないと帝に伝えてくれるよう頼んでいます。

結果的には、いわゆる自宅待機による自己隔離をしたことになるわけです。

また別の例を挙げると、これは若菜下の巻ですが、紫の上が倒れた時、養女の明石女御が心配して見舞に来ると、「ただにもおはしまさで、もののけなどいと恐ろしきを、早く参りたまひね」と身重な女御にもののけ=自分の病気が移ることを心配して、早くお戻りなさいと言っています。

身重の時はもののけがつきやすいので、特に気を付けなければならないと考えられていたようです。


もう一つだけ例を引きましょう。
夕霧の巻です。病に倒れた御息所(落葉の宮の母)が祈祷などの治療のために比叡山の麓の山荘に移りました。その時のことです。



「御もののけむつかしとて、とどめたてまつりたまひけれど、いかでか離れたてまつらむと、慕ひわたりたまへるを、人に移り散るを懼ぢて、すこしの隔てばかりに、あなたにはわたしたてまつりたまはず」(母御息所は、自分についているもののけが恐ろしいからと、落葉の宮を京に留めようとなさったけれど、宮はどうして離れて暮らせましょうと慕いなさるので、山荘に伴われたけれど、移るのを恐れて自分の病室にはお近づけにならない)と書かれています。

もののけの憑いている人は隔離して、他の大切な人に移らないようにしているのです。

全く≪もののけ≫はウィルスそのものではありませんか!