2018年6月25日月曜日

源氏物語と【のきしのぶ】

やっと見つけた屋根のしのぶ草


つい最近まで、苔むした門の屋根に【のきしのぶ】がびっしり生えている光景をよくみかけたように思います。
今回、このブログのために心当たりの箇所をいくつも探したのですが、無い!!!みんな新しくなっていて、苔やのきしのぶとは無縁のピカピカつるつるの門になってしまっていました。

今や【のきしのぶ】は軒ではなく、樹木の幹にわずかに棲息しているのでした。

【のきしのぶ】といえば、百人一首100番の「ももしきやふるき軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり」という順徳院の歌を思い出される方も多い事でしょう。承久の変に敗れて佐渡で没した悲劇の天皇ですよね。


源氏物語でしのぶ草が登場するのは光源氏が夕顔を連れ出しそこで死なせてしまった、なにがしの院の門と、末摘花がひたすら源氏の訪れを待ち続けた陋屋の軒です。

そのわたり近きなにがしの院におはしまし着きて、預り召し出づるほど、荒れたる門のしのぶ草茂りて見上げられたる、たとしへなく木暗し。霧も深く露けきに、簾をさへ上げたまへれば、御袖もいたく濡れにけり。「まだかやうなることをならはざりつるを、心づくしなることにもありけるかな。 いにしへも かくやは人のまどひけむ わがまだ知らぬ しののめの道ならひたまへりや」とのたまふ。女はぢらひて「山の端の 心も知らで ゆく月は うはの空にて 影や絶えなむこころぼそく」とてもの恐ろしうすごげに思ひたれば・・・・(夕顔の巻) 

光源氏は、まだ17歳、恋の冒険に夢中だった頃です。偶然知った素性も知らぬ女性を、普段は使われていない別邸に連れ出して、二人だけの時を楽しもうとしたわけですが、その夜、この女性は物の怪に襲われて急死してしまいます。

上記の夕顔が詠んだ歌も、まるで、自分の死を予感していたような不吉さを感じさせます。

木の幹に生えたしのぶ草
末摘花の巻では、廃屋かと見まごう陋屋を訪ねた源氏の君が、屋内を見た時「しのぶ草にやつれたる上の見るめよりは、みやびやかに見ゆるを・・」と、家の外は軒や屋根に、しのぶ草が生えていて、荒れ果てた感じなのに、家の中はそれほどでもないなと思ったと書かれています。

 いずれにしても、しのぶ草は荒れた、うら寂しい場所のものとされていたようです。私は、風情があると思いますが。

2018年6月8日金曜日

柏木の宿




柏の木と言えば、柏餅をくるむあの大きな葉っぱを、どなたもすぐに思い浮かべられることでしょう。

そして、源氏物語に馴染んでおられる方なら、あの柏木青年を連想なさることでしょう。光源氏の若い妻とあやまちを犯し、それが源氏に知られてしまったことから自滅してゆく悲劇の貴公子です。

彼が、柏木と呼ばれる所以は、彼が衛門督という官職についていたことによります。
柏の木には、葉守の神が宿るとされることから、内裏を警備する担当部署を柏木と呼んだようです。

柏木青年が亡くなった後、親友であった夕霧は、柏木の遺言に従って、その未亡人落葉の宮をしばしば見舞って慰めます。そのうち、次第に彼女に心惹かれるようになるのですが。

落葉の宮が、母上と二人で暮らす寂しい邸には、柏の木が青々と枝を広げていました。

御前の木立ども、思ふことなげなるけしきを見たまふも、(夕霧は)いとものあはれなり。柏木と楓との、ものよりけに若やかなる色して、枝さしかはしたるを、「いかなる契りにか、末あへるたのもしさよ」などのたまひて、忍びやかにさし寄りて、「ことならば馴らしの枝にならさなむ 葉守の神のゆるしありきと (この交わり合った枝のように親しくして頂きたい。亡き方のお許しもあったということで) 御簾の外の隔てあるほどこそ、うらめしけれ」とて長押に寄りゐたまへり。(柏木の巻)


因みに柏は落葉樹ですが、新春に若葉がそろうまで、枯葉が落ちずに残ることから、「葉守」と呼ばれるということです。

柏の木は、なかなか見つからず「和菓子屋にしかないのか!」と思っていましたが、植物園でやっと発見しました。