2017年12月27日水曜日

落葉と呼ばれた二人の女性

源氏物語の「落葉の人」と言えば、「落葉の宮」がまず思い出されます。女三宮に恋慕する柏木が、女三宮の代わりに手に入れた女二宮―――女三宮の腹違いの姉です。その女二宮と結婚してみたものの「同じ朱雀院の娘とはいえ、やはり三宮でなくては駄目だ」と柏木の心は慰みません。いえ慰まないどころか、かえって女三宮に対する執着が増したのでした。

女房など物見に皆出でて、人少なにのどやかなれば、(女二宮は)うちながめて、筝の琴なつかしく弾きまさぐりておはするけはひも、さすがにあてになまめかしけれど、同じくは今ひと際及ばざりける宿世よと、なほおぼゆ。

(柏木)もろかづら落葉を何にひろひけむ 名はむつましきかざしなれども

と書きすさびゐたる、いとなめげなるしりうごとなりかし。(若葉下の巻)


 語り手も「なぜ落葉を拾ったのだろうなんて、随分失礼な愚痴だこと」とコメントしています。同じ皇女である女二宮が、女三宮と比べて、その高貴さや優雅さにおいて、劣っていたとは思えないのですが、人間は「思い込んだら百年目」みたいなところがあるのでしょうか。
この後、結局、柏木は女三宮との密通へと走ってしまうのでした。

さて、もう一人の「落葉」は近江の君です。内大臣(昔の頭中将)が、探し出して引き取った娘です。源氏がどこかから探し出して引き取った娘が、大変な美人で、評判になっていると知って、内大臣は、我も負けじとばかりに手を尽くして、娘を探し出して引き取りました。ところが、その娘はとんでもない山出しで、無邪気ながら、はしたない言動で一家の悩みの種になります。
もともと、内大臣には大切に手元で育てた娘、雲居の雁がありました。息子夕霧と、その雲居の雁との結婚を認めようとしない内大臣に対する嫌味を込めて、源氏は、夕霧に「同じ姉妹なのだから、内大臣家の嫌われ者のその娘と結婚したらいいじゃないか」と言います。


「朝臣(夕霧)や、さやうの落葉をだに拾へ。人わろき名の後の世に残らむよりは、おなじかざしにてなぐさめなむに、なでふことかあらむ」と弄じたまへるやうなり。かやうのことにてぞ、うはべはいとよき御仲の、昔よりさすがに隙ありける、まいて中将(夕霧)をいたくはしたなめて、わびさせたまふつらさをおぼしあまりて、なまねたしとも漏り聞きたまへとおぼすなりけり。(常夏の巻)


この言葉は、夕霧の所に遊びに来ていた、内大臣の息子たちのいる所で、夕霧に向かって投げられたものです。「内大臣の耳に入って口惜しがったらちょうどいい」と源氏は思ったのでした。


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<朗読会>声と響き 木霊する源氏物語
2018年3月24日(土)朗読会を開催します。
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2017年12月15日金曜日

源氏物語の宿木

木々が葉を落とすと、宿木が丸く愛らしい姿を現します。京都で、いわゆる「宿木」が多く自生しているのは、私の知る所では、中書島の川沿い、宇治の川沿い、それから北山の八丁平です。冬になると木によっては実を着けて、何とも素敵です。
中書島の宿木
源氏物語の宿木の巻は、宇治も舞台になっているので、何度か登場する「宿木」は、このポンポン状の宿木のことだと、かつては思っていたのですが、実はそうではなく、宿木とは、元々他の木に寄生する植物一般を指したものゆえ、蔦のことなのです。
そして、歌語として、「宿りき」つまり、「泊まった」という意味の語との掛詞として使われたのでした。
宿木の巻は、薫が浮舟の存在を知り、その姿を垣間見して、いたく心惹かれるという、この後の宇治十帖の展開に大きな意味を持つ巻です。
浮舟の素性を知ろうと、宇治を訪れた薫が、一夜、昔のことを知る弁の尼と語り合います。

源氏物語の宿木

木枯の堪へがたきまで吹きとほしたるに、残る梢もなく散り敷きたる紅葉を踏み分けけるあとも見えぬを見わたして、とみにもえ出でたまはず。いとけしきある深山木にやどりたる蔦の色ぞまだ残りたる。こだになどすこし引きとらせたまひて、宮へとおぼしくて持たせたまふ。

 

  やどりきと思ひいでずば木のもとの 旅寝もいかにさびしからまし

とひとりごちたまふを聞きて、尼の君、

 

  荒れ果つる朽木のもとをやどりきと 思ひおきけるほどの悲しさ

あくまでも古めきたれど、ゆゑなくはあらぬをいささかのなぐさめにはおぼしける。(宿木の巻)


薫は、以前この宿に、今は亡き姫君(大君)を訪ねて、宿りしたことを思い出し、尼は、寂しくなったこの宿を、忘れずに訪ねてくれた薫と、姫亡き悲しさを共にしています。





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2017年12月3日日曜日

秋好む中宮の秋の庭

光源氏が、35歳の時に造営した宏大な邸宅六条院は、四季の庭と、それに付随する御殿からなるものでした。その秋の御殿の主人が、秋好む中宮です。

中宮の御町をば、もとの山に、紅葉の色濃かるべき植木どもを植ゑ、泉の水遠くすましやり、水の音まさるべき巌立て加へ、滝おとして、秋の野をはるかに作りたる、そのころにあひて、さかりに咲き乱れたり。嵯峨の大井のわたりの野山、無徳にけおされたる秋なり。(少女の巻)

中宮の秋の庭は、美しいとされる嵯峨あたりの野山よりも、もっと秋らしい美しさを備えていたとあります。秋の盛り、中宮は、隣の、春の御殿の紫の上の元に、秋の花紅葉を届けて、春秋優劣の論争を仕掛けました。


長月になれば、紅葉むらむら色づきて、宮の御前えも言はずおもしろし。風うち吹きたる夕暮れに、御箱の蓋に、いろいろの花紅葉をこきまぜて、こなたにたてまつらせたまへり。(略)御消息には

心から春まつ園はわがやどの 紅葉を風のつてにだに見よ

若き人々、御使もてはやすさまどもをかし。御返りは、この御箱の蓋に苔敷き、巌などの心ばへして、五葉の枝に

風に散る紅葉はかろし春の色を 岩根の松にかけてこそ見め

この岩根の松も、こまかに見れば、えならぬ作りごとどもなりけり。
(少女の巻)


中宮は、紫の上に「あなたの春の庭はさびしいでしょう。せめて私の庭の紅葉でも御覧なさい」と詠みかけ、紫の上は「風に散る紅葉なんて・・・・・。春の美しさをこの岩根の松の緑に見てくださいな。」と作り物の松で反論しました。
なんと優雅な争いでしょう。




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2017年11月25日土曜日

紅葉に思う***時間:それが源氏物語の主題

源氏物語の主題は、プルーストの「失われた時を求めて」と同じく時間であるという説は中村真一郎が唱えていたのだったかしら。私自身が考えたものではありません。でもいつの間にか私の中に沁みついて、まるで自分が考え出したかのように感じています。

その主題を最も端的に表しているのが、「藤の裏葉」の巻の紅葉の宴です。

この日、臣下としての位を極め、人望も厚く、天下に比肩する者のない権力者となった光源氏が、自宅六条院に、帝、院をお迎えして盛大な宴が開きました。

時まさに紅葉の真っ盛り。贅を凝らした六条院の秋の景観は素晴らしいものでした。
その宴もたけなわとなり、暮れ方になって、音楽が始まり、童が舞います。昔の頭中将、、今は太政大臣の息子が見事に舞い、帝から御衣を賜ります。
それを見て、光源氏も太政大臣も、昔の紅葉の賀に二人で青海波を舞った折のことを思い出して、涙ぐみます。

昔と同じように美しい紅葉。同じように御覧になる帝。おなじように美しい童の舞。
けれども本当に同じなのは紅葉だけ。人は時とともに入れ替わる。

賀王恩といふものを奏するほどに、太政大臣の御男の十ばかりなる、切におもしろう舞ふ。内裏の帝、御衣ぬぎて賜ふ。太政大臣おりて舞踏したまふ。主人の院、菊を折らせたまひて、青海波のをりをおぼし出づ。
色まさる籬の菊もをりをりに 袖うちかけし秋を恋ふらし
大臣そのをりは、同じ舞に立ち並びきこえたまひしを、われも人にはすぐれたまへる身ながら、なほこの際はこよなかりけるほどおぼし知らる。時雨をり知り顔なり。
「紫の雲にまがへる菊の花 濁りなき世の星かとぞ見る
時こそありけれ」と聞こえたまふ。



太政大臣は、「共に青海波を舞った頃、光源氏と自分は同等の男だと思っていたが、この男に結局かなわなかった」とはっきり認識したのでした。

夕風の吹き敷く紅葉のいろいろの濃き薄き、錦を敷きたる渡殿の上見まがふ庭の面に、容貌をかしき童べの、やむごとなき家の子どもなどにて、青き赤き白橡、蘇芳、葡萄染など、常のごと、例のみづらに、額ばかりのけしきを見せて、短きものどもをほのかに舞つつ、紅葉の蔭にかへり入るほど、日の暮るるもいとほしげなり。(藤裏葉の巻)

舞う童たちの姿は数十年昔の自分たちの姿なのでした。 




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2017年11月20日月曜日

公演会「声と響き 木霊する源氏物語」を3月24日(土)に開催します。

声と響き 木霊する源氏物語
朗読と唄で織りなす物語

――― 自らの恋を封印して、高貴な女性であり続けた藤壺 ―――
――― 恋する女の喜びと悲しみに、われとわが身を委ねた朧月夜 ―――

古典の世界を声の響きのうちに呼び寄せようとする試みです。源氏物語の世界を、語りと朗読、唄とで構成しています。源氏物語は光源氏の物語ではありますが、そこに描かれているのは、光源氏をめぐる男女の様々な人物像でもあります。登場する多くの女君たちの中から、今回は「藤壺」と「朧月夜(おぼろづきよ)」をとりあげてみました。


朗読 岸本久美子 Kumiko Kishimoto
山口県山口市出身。お茶の水女子大学国文科卒業。王朝文学に憧れて東京から京都に移り住む。京都市立高校で国語教育に携わるかたわら、源氏物語を中心とする王朝文学関係の市民講座・講演の講師として活躍。日本朗読検定協会インストラクターの資格を持ち、大阪中央公会堂などでの朗読公演も回を重ねている。
現在、京都市立堀川高校非常勤講師。


唄 上野洋子 Yoko Ueno (ソプラノ)
京都市出身。京都市立芸術大学大学院音楽研究科声楽専修修了。ウィーン国立音楽大学リート・オラトリオ科卒業。ウィーン国立歌劇場専属合唱団に9年間所属。12年間のオーストリア滞在を経て、帰国後は新たに能楽や民謡などの日本伝統曲のアレンジにも精力的に取り組む。また最近では、声そのものの在り方を音楽療法的に意識し、特に高齢者を対象にした研究に力を入れている。
京都市立芸術大学音楽学部声楽専任講師。


【日時】 2018年3月24日(土)14:00 開演 (13:30 開場/15:30 閉演)

【会場】 京都堀川音楽高等学校 音楽ホール


京都市中京区油小路通御池押油小路町238―1
市営地下鉄東西線 二条城前駅 下車 2番出口 徒歩2分/市バス 堀川御池 下車 徒歩2分
*御池通側の南門(グランド入口)からお入りください。
*駐車場、駐輪場はありません。公共の交通機関をご利用ください。

【入場料】 大人1,500円 (高校生以下無料/全席自由席)

【申込期限】 2018年3月22日(木) *定員に達ししだい締め切ります。

【申込方法】
▶ ファックスにてお申し込み
*以下の項目をご記入いただき、ファックス「075-701-0900」にご送信ください。
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2017年11月17日金曜日

王朝人の愛した菊


皇室の御紋は菊の花。鎌倉時代に後鳥羽天皇が菊の花を好まれ、家紋とされたということです。菊の花は、奈良時代から平安時代にかけて中国から伝わり、様々な栽培種が広がったようです。今は350種もあるそうです。




菊は昔から秋を代表する花として、また、長寿をもたらす花として、愛されてきました。
源氏物語でも、菊は、桜や梅にははるかに及ばないものの、数多く登場する花です。

王朝時代には、霜にあたって、少し色が変わったものが格別美しいとされました。
源氏物語の中で一番有名な菊は、若く美しい盛りの光源氏が、当時の院の賀のおりに御前で青海波を舞った時、冠に挿した菊の花でしょう。

かざしの紅葉いたう散りすぎて、顔のにほひにけおされたるここちすれば、御前なる菊を折りて、左大将さしかへたまふ。日暮れかかるほどにけしきばかりうちしぐれて、空のけしきさへ見知り顔なるに、さるいみじき姿に、菊の色色うつろひ、えならぬをかざして、今日はまたなき手を尽くしたる入綾のほど、そぞろ寒く、この世のことともおぼえず。(紅葉の賀の巻)


美しい源氏の舞姿に色変わりした菊の花が艶を添え、その素晴らしさに、見る人はみな感動の涙を流したとあります。どんな菊だったのでしょうか。

また、菊は9月9日に着せ綿をしてその露で肌を拭うと寿命が延びるとされていて、王朝人の間では流行していたようです。紫式部日記にもそのことが書かれています。源氏と紫の上もその着せ綿で互いに顔を拭い合って長寿を祈ったのでしょう。紫の上が亡くなった後、むなしく着せ綿のされている菊を見て、源氏が悲しみを新たにする場面があります。

九月になりて、九日、綿おほひたる菊を御覧じて、
もろともにおきゐし菊の朝露も ひとり袂にかかる秋かな(幻の巻)

宇治十帖では時の帝が、愛する娘女二宮を薫に譲りたいという気持ちを伝えるにあたって、女二宮を菊の花によそえています。

御前の菊うつりひ果てで盛りなるころ、(略)「まづ今日はこの花一枝をゆるす」とのたまはすれば、御いらへ聞こえさせで、下りておもしろき(菊の)枝を折りて参りたまへり。
(薫)世のつねの垣根ににほふ花ならば 心のままに折りて見ましを
と奏したまへる、用意あさからず見ゆ。
(帝)霜にあへず枯れにし園の菊なれど のこりの色はあせずもあるかな
とのたまへり。(宿木の巻)


薫は庭の菊の花を折って手にしながら、「こういう普通の菊なら思いのままに折り取ってめでましょうものを」と遠慮しています。結局、この女二宮の婿となりました。

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2017年11月8日水曜日

夕霧が通い、浮舟が暮らした小野の里

源氏物語で、「小野の里」は、夕霧が通った、一条御息所の山荘があった場所として、そして、助けられた後に浮舟が住んだ山里として登場しています。
「小野の里」は、現在の一乗寺、修学院あたりから八瀬大原あたりまでの、比叡山東麓のひろい範囲を指したようです。

一条の御息所の山荘があったのは、修学院あたりかと思われます。夕霧は御息所と一緒に住む娘の落葉の宮が目当てで、小野の里へ足繁く通います。やがて、母御息所は亡くなり、夕霧は、落葉の宮を慰めようと山荘を訪ねます。

九月十余日、野山のけしきは、深く見知らぬ人だにただにやはおぼゆる。山風に堪えぬ木々の梢も、峰の葛葉も、心あわたたしうあらそひ散るまぎれに、尊き読経の声かすかに、念仏などの声ばかりして、人のけはひいと少なう、木枯の吹き払ひたるに、鹿はただ籬のもとにたたずみつつ、山田の引板にもおどろかず、色濃き稲どものなかにまじりてうち鳴くも、愁へ顔なり。(夕霧の巻)


今の修学院、松ヶ崎あたりは、勿論千年前の風景とは変わっているでしょうが、それでも、まだ稲田も残り、田舎の雰囲気をとどめています。鹿も、時々、高野川沿いに下りてきています。
落葉の宮や浮舟も、この、同じ高野川の流れの音を耳にしたのかと思うとちょっと感動します。
高野川を下って来た鹿

宇治から、この小野の里に移り住んだ浮舟はこの山里を風情ある所と感じています。

昔の山里(宇治)よりは、水の音もなごやかなり。(家の)造りざま、ゆゑある所の、木立おもしろく、前栽などもをかしく、ゆゑを尽くしたり。秋になりゆけば、空のけはひあはれなるを、門田の稲刈るとて、所につけたるものまねびしつつ、若き女どもは歌うたひ興じあへり。引板ひき鳴らす音もをかし。(手習の巻)


浮舟の暮らしたこの山荘は、叡山横川に通じる道の下にありましたから、修学院よりもう少し奥の、大原よりの所だったと思われます。本文にも、「かの夕霧の御息所のおはせし山里よりは、今すこし入りて、山に片かけたる家なれば・・・・」とあります。
京を少し離れると稲田があり鹿が鳴いている、というのが、お決まりのイメージで、小野の里とはまさにそういう場所でした。

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2017年10月29日日曜日

猫を抱く柏木


一匹の子猫が人々の人生を狂わせた、そんな猫が源氏物語に登場しています。当時、貴族の間で流行った唐猫の、子猫です。この猫が、青年柏木を死なせ、女三の宮を出家させ、光源氏には初めての敗北感を抱かせたのです。

前帝の朱雀院の愛娘女三の宮は14歳。柏木はじめ若い貴公子たちの憧れの的でしたが、色々な事情から、彼女は、結局、源氏のものとなったのでした。
光源氏はすでに40歳になっていました。

ある春の日、源氏の邸宅では若い貴公子たちが集まって蹴鞠を楽しんでいました。
その折に、柏木は、女三の宮の姿を見てしまうのです。


唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひ続きて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、(略)御簾のそばいとあらはに引きあけられたるを、とみにひき直す人もなし。(略)几帳の際すこし入りたるほどに、袿姿にて立ちたまへる人あり。階より西の二の間の東のそばなれば、まぎれどころもなくあらはに見入れらる。紅梅にやあらむ、濃き薄き、すぎすぎに、あまたかさなりたるけぢめはなやかに、草子のつまのやうに見えて、桜の織物の細長なるべし。御髪の末までけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうになびきて、末のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、七八寸ばかりぞあまりたまへる。御衣の裾がちに、いと細くささやかにて、姿つき、髪のかかりためへる側目、言ひ知らずあてにらうたげなり。(若菜下の巻)


子猫が、つながれていた綱で御簾をたくしあげてしまったため、ちょうど柏木のいた位置から、女三の宮の愛くるしい姿が、丸見えになってしまったのでした。

この日から、柏木は寝ても覚めても宮のことが頭から離れません。宮はすでに、光源氏のもの。せめてあの子猫をと、あちこち手をまわして、柏木は、女三宮の所にいた子猫を手に入れました。

つひにこれを尋ね取りて、夜もあたり近く臥せたまふ。明け立てば、猫のかしづきをして、撫で養ひたまふ。ひと気遠かりし心もいとよく馴れて、ともすれば衣の裾にまつはれ、寄り臥しむつるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたくながめて、端近く寄り臥したまへるに、来てねうねう、といとらうたげに鳴けば、かき撫でて、うたてもすすむかなと、ほほゑまる。
「恋ひわぶる人のかたみと手ならせば なれよ何とて鳴く音なるらむ
これも昔の契りにや」と、顔を見つつのたまへば、いよいよらうたげに鳴くを、懐に入れてながめゐたまへり。(若菜下の巻)


猫で満足していれば良かったのですが、この後も、柏木はどうしても女三宮への執着から逃れることができず、なんと6年後に、源氏の留守中に宮の元にしのびこんで、思いをとげたのでした。宮を抱いて瞬時まどろんだ時、柏木はその猫の夢を見ます。

猫の夢は懐妊を告げると言われていました。
そして、実際、宮は柏木の子を宿したのでした。
その秘密は、やがて、光源氏の知るところとなりました。源氏の一睨みで寝付いた柏木はそのまま死ぬしかなく、宮も出家の道を選びました。
わが子ならぬわが子を抱く源氏の心は複雑でした。
写真の猫は以前うちにいたアビシニアン種のオムです






2017年10月24日火曜日

浮舟の再生

薫という男の世話になりながら、匂宮という新しい愛人に身も心も奪われ、そんな自分が許せなくて、悩み苦しんだ挙句、宇治川に身を投げようとした浮舟。荒れ騒ぐ川浪の音を聞いて彷よううちに、物の怪が取り憑いて、彼女は、意識を失ったまま、ずぶ濡れの状態で、ある邸の裏庭に捨てられたのです。

こんな木の根っこに浮舟はたおれていたのでしょうか

まづ僧都わたりたまふ。いといたく荒れて、恐ろしげなるところかな、と見たまひて、「大徳たち、経読め」などのたまふ。(略)火ともさせて、人も寄らぬうしろの方に行きたり。森かと見ゆる木の下を、うとましげのわたりや、と見入れたるに、白きもののひろごりたるぞ見ゆる。「かれは何ぞ」と、立ちとまりて、火を明るくなして見れば、もののゐたる姿なり。「狐の変化したる、憎し、見あらはさむ」とて、一人は今すこし歩み寄る。今一人は「あな用な。よからぬものならむ」と言ひて、さやうのもの退くべき印をつくりつつ、さすがになほまもる。頭の髪あらば太りぬべきここちするに、この火ともしたる大徳、憚りもなく、奥なきさまにて、近く寄りてそのさまを見れば、髪は長くつやつやとして、大きなる木の根のいと荒々しきに寄りゐて、いみじく泣く。(手習の巻)


人々は、あやしいものだから、捨て置けというのですが、僧都は「これは人である、この雨の中に置いておけば死んでしまう。そのようなことは仏の道に背くことだ」と皆を説得して彼女を助けたのです。亡くなった娘の生まれ変わりと世話した尼の手厚い介抱と、僧都の加持によって、浮舟は、二か月後に意識を取り戻したのでした。
しかし、再生した浮舟は自分の記憶が戻ったあとも、一切自らについて語りません。

一旦自分は死んだと思っていた彼女は、自らの過去を全て忘れようとし、美しく若い身空で、出家を決意していたのでした。
源氏物語で最後に登場する女君浮舟に、紫式部はどのような思いを託したのでしょうか。
源氏物語の中では、この場面の季節は春なのですが、私は、どうしても、冷たい秋の雨の降る日としてこの場面を思い浮かべてしまいます。



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2017年10月14日土曜日

紫苑揺れる秋の庭

紫苑の花も、藤袴や女郎花と同じように、すらりと伸びた茎の上に、まとめて花を着けます。そして、花の蕾の時期から色あせてゆくまでの期間がとても長い点もこれらの花に共通しています。源氏物語の中では、「紫苑」という言葉は花としてよりも、秋の衣裳の色目、襲(かさね)の色目として使われている場合が多いようです。
 
源光庵にて10月7日撮影
秋好む中宮と呼ばれる方のお庭には、秋の草花が美しく咲き誇っていました。野分の翌朝の、その御殿の様子を描いた場面では、実際の花と衣裳の色目と両様の意味で紫苑が登場しています。

童女おろさせたまひて、虫の籠どもに露飼はせたまふなりけり。紫苑、撫子、濃き薄き衵(あこめ)どもに、女郎花の汗衫(かざみ)などやうの、時にあひたるさまにて、四五人連れて、ここかしこの草むらに寄りて、いろいろの籠どもを持てさまよひ、撫子などの、いとあはれげなる枝ども取り持て参る霧のまよひは、いと艶にぞ見えける。吹き来る追風は、紫苑ことごとに匂ふ空も、香のかをりも、(中宮が)触ればひたまへる御けはひにやと、いと思ひやりめでたく、心懸想せられて、立ち出でにくけれど、・・・(野分の巻)


朝ぼらけのお庭をのぞいているのは、野分の見舞に訪れた夕霧です。色とりどりの虫籠を手にした女の子たちが、それぞれに異なる秋の色目の衣裳を身に着けて、秋草の庭をさまよっています。何とも美しい光景です。ずっとのぞき見していたかったけれど、そうも行かず、この後夕霧は咳払いをして、庭に歩み入ります。

 オマケ
鷹峯源光庵では、ホトトギスの花も見頃でした。鳥のホトトギスの腹の模様と花の斑が似ていることからこの名がついたそうです。因みに源氏物語には、鳥のホトトギスしか登場しません。



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2017年10月8日日曜日

光源氏が楽しんだ鈴虫の宴

秋ごろ、西の渡殿の前、中の塀の東の際を、おしなべて野につくらせたまへり。(略)この野に虫ども放たせたまひて、風すこし涼しくなりゆく夕暮れに、わたりたまひつつ、虫の音を聞きたまふやうにて・・・・・。(鈴虫の巻)

虫の音の聞こえる草むら

女三宮の住む西の対の庭を野辺のように作らせ、そこに虫を放って鳴き声を楽しもうという趣向です。色々な虫の声が聞こえるのを聞きながら源氏は鈴虫(今の松虫のこと)の声が可愛くていいねと女三宮に語り掛けたりしています。
やがて月が出て、源氏は月明かりに琴を弾きます。

10月4日が仲秋の名月でした。今年はひときわ美しかった月。御覧になった方も多いと思います。人工の灯火のなかった時代、月の光は今より何倍も明るく輝き、人々の夜の生活に密着していたことでしょう。

王朝時代、宮中では仲秋の名月の夜は特別な宴会が開かれ、管弦の遊びを楽しむのが恒例でした。その宴が中止となったある年、光源氏の六条院に若い貴公子たちが集い、月を愛で、虫の音に耳を澄まし、管弦の遊びを楽しみました。

仲秋の名月が昇る

今宵は例の御遊びにやあらむと、おしはかりて、兵部卿の宮わたりたまへり。大将の君(夕霧)、殿上人のさるべきなど具して参りたまへれば、こなたにおはしますと、御琴の音を尋ねてやがて参りたまふ。(略)内裏の御前に、今宵は月の宴あるべかりつるを、とまりてさうざうしかりつるに、この院に人々参りたまふと聞き伝へて、これかれ上達部なども参りたまへり。虫の音の定めをしたまふ。(略)「今宵は鈴虫の宴にて明かしてむ」と(源氏は)おぼしのたまふ。(鈴虫の巻)


この後、一行は笛を吹いたりしながら、車を連ねて冷泉院へ行き、宴を続けます。虫の音色の良し悪しを聞き比べたり、月の光のもとで管弦を楽しんだり、なんと優雅な暮らしでしょう。(もっとも、貴族だけでしょうが)
草むらの蛍袋の花

現代人の生活の味気無さを思い知らされます。日本古来の虫が少なくなって、草むらではなく、樹上で鳴く外来種の情緒のない鳴き声ばかり聞こえる秋の夜。さびしいですね。


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2017年9月30日土曜日

葛の花

   葛の花踏みしだかれて、色あたらし。
           この山道を行きし人あり

 この釈迢空の歌を初めて目にしたのは高校生の頃だったでしょうか。なぜか心に残って、本名折口信夫の彼が、あの独特の民俗学研究の資料を求めて、山路を辿っていく姿を想像していました。この季節、山道を行くと葛の花が散っています。濃い紫色の花は、生い広がる葉に隠れてあまり目立ちませんが。


 源氏物語の中には、葛の花は出てきません。紫式部は、花を見たことは、多分なかったと思われます。葛の葉のほうは、歌で知っていたし、見たこともあるかもしれません。庭に植える草ではなく、山野に延び広がるもの草ですから。その点は今も同じで葛を庭に植える人はいないようです。

宇治十帖では、匂宮の紅葉狩りに同行した老人が、亡き八宮を偲んで

   

      見し人もなき山里の岩かきに
       心ながくも這へる葛かな


と八宮の住まいを対岸から眺めて歌を詠んで涙にくれたという場面があります。家の主は亡くなっても、垣根の葛は昔と同じように這い延びている、と宮の若かったころを知る従者の涙です。
 
 亡くなった母君の弔問に、夕霧が、小野の山荘に落葉の宮を訪れる場面にも葛の葉が登場します。

 九月十余日、野山のけしきは、深く見知らぬ人だにただにやはおぼゆる。山風に堪へぬ木々の梢も、峰の葛葉も、心あはたたしうあらそひ散るまぎれに、尊き読経の声かすかに、念仏などの声ばかりして、人のけはひいと少なう、木枯の吹き払ひたるに、鹿はただ籬のもとにたたずみつつ、山田の引板にもおどろかず、色濃き稲どもの中にまじりつつうち鳴くも、愁へ顔なり。(夕霧の巻)

 型にはまった描写ではありますが、秋の物悲しさを描いたものとして、なかなか美しい一節だと思います。




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2017年9月22日金曜日

風にそよぐ一叢薄

源氏物語には不思議なことに「すすき」という言葉は登場していません。「ひとむらすすき」という言葉でしか登場しないのです。たしかに薄は一本だけ生えているということはありません。必ず何本かがかたまって生えています。この時期、吹き始めた秋の風に、穂を揃えて揺れているのを見かけます。
 王朝人のお庭には大抵一叢薄があったようです。庭の薄は、手入れを怠ると、あっという間に生え広がってしまいます。
 
 源氏物語のなかでも、しばらく空き家になっていた三条の邸・ 主人を亡くして悲しみに沈む落葉の宮の邸・いずれも、一叢薄が、「ひとむら」ではなく、茂り放題になっていることを述べて、庭が荒れた状態を表しています。
 まず新婚の夕霧が三条の邸に手を入れて新居とするという場面を見ましょう。
 

 すこし荒れにたるを、いとめでたく修理しなして、宮のおはしましたるかたを改めしつらひて住みたまふ。昔おぼえて、あはれに思ふさまなる御住まひなり。前栽どもなど、小さき木どもなりしも、いとしげき蔭となり、一叢薄も心にまかせて乱れたりける、つくろはせたまふ。遣水の水草も掻きあらためて、いと心ゆきたるけしきなり。(藤裏葉の巻)


 夕霧と雲居の雁、幼いころからの恋が実って結婚したふたりは、肩を寄せ合って綺麗に整えられたお庭を眺めています。
 この次に一叢薄が登場するのは、同じ夕霧が、親友柏木の没後、未亡人となった落葉の宮の住む一条の宮邸を訪れる場面です。この未亡人に夕霧ははじめての浮気心を抱くのですが。

 かの一条の宮にも、(夕霧は)常にとぶらひきこえたまふ。(略)前栽に心入れてつくろひたまひしも、心にまかせて茂りあひ、一むらすすきもたのもしげにひろごりて、虫の音添へむ秋思ひやらるるより、いとものあはれに露けくて、分け入りたまふ。(柏木の巻)

 
 源氏物語で薄が出てくるのは、多分、この二つの場面だけなのです。夕霧の結婚と浮気、紫式部が意識したかどうかわかりませんが、ちょっと皮肉ですね。


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