2017年9月30日土曜日

葛の花

   葛の花踏みしだかれて、色あたらし。
           この山道を行きし人あり

 この釈迢空の歌を初めて目にしたのは高校生の頃だったでしょうか。なぜか心に残って、本名折口信夫の彼が、あの独特の民俗学研究の資料を求めて、山路を辿っていく姿を想像していました。この季節、山道を行くと葛の花が散っています。濃い紫色の花は、生い広がる葉に隠れてあまり目立ちませんが。


 源氏物語の中には、葛の花は出てきません。紫式部は、花を見たことは、多分なかったと思われます。葛の葉のほうは、歌で知っていたし、見たこともあるかもしれません。庭に植える草ではなく、山野に延び広がるもの草ですから。その点は今も同じで葛を庭に植える人はいないようです。

宇治十帖では、匂宮の紅葉狩りに同行した老人が、亡き八宮を偲んで

   

      見し人もなき山里の岩かきに
       心ながくも這へる葛かな


と八宮の住まいを対岸から眺めて歌を詠んで涙にくれたという場面があります。家の主は亡くなっても、垣根の葛は昔と同じように這い延びている、と宮の若かったころを知る従者の涙です。
 
 亡くなった母君の弔問に、夕霧が、小野の山荘に落葉の宮を訪れる場面にも葛の葉が登場します。

 九月十余日、野山のけしきは、深く見知らぬ人だにただにやはおぼゆる。山風に堪へぬ木々の梢も、峰の葛葉も、心あはたたしうあらそひ散るまぎれに、尊き読経の声かすかに、念仏などの声ばかりして、人のけはひいと少なう、木枯の吹き払ひたるに、鹿はただ籬のもとにたたずみつつ、山田の引板にもおどろかず、色濃き稲どもの中にまじりつつうち鳴くも、愁へ顔なり。(夕霧の巻)

 型にはまった描写ではありますが、秋の物悲しさを描いたものとして、なかなか美しい一節だと思います。




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