2017年11月25日土曜日

紅葉に思う***時間:それが源氏物語の主題

源氏物語の主題は、プルーストの「失われた時を求めて」と同じく時間であるという説は中村真一郎が唱えていたのだったかしら。私自身が考えたものではありません。でもいつの間にか私の中に沁みついて、まるで自分が考え出したかのように感じています。

その主題を最も端的に表しているのが、「藤の裏葉」の巻の紅葉の宴です。

この日、臣下としての位を極め、人望も厚く、天下に比肩する者のない権力者となった光源氏が、自宅六条院に、帝、院をお迎えして盛大な宴が開きました。

時まさに紅葉の真っ盛り。贅を凝らした六条院の秋の景観は素晴らしいものでした。
その宴もたけなわとなり、暮れ方になって、音楽が始まり、童が舞います。昔の頭中将、、今は太政大臣の息子が見事に舞い、帝から御衣を賜ります。
それを見て、光源氏も太政大臣も、昔の紅葉の賀に二人で青海波を舞った折のことを思い出して、涙ぐみます。

昔と同じように美しい紅葉。同じように御覧になる帝。おなじように美しい童の舞。
けれども本当に同じなのは紅葉だけ。人は時とともに入れ替わる。

賀王恩といふものを奏するほどに、太政大臣の御男の十ばかりなる、切におもしろう舞ふ。内裏の帝、御衣ぬぎて賜ふ。太政大臣おりて舞踏したまふ。主人の院、菊を折らせたまひて、青海波のをりをおぼし出づ。
色まさる籬の菊もをりをりに 袖うちかけし秋を恋ふらし
大臣そのをりは、同じ舞に立ち並びきこえたまひしを、われも人にはすぐれたまへる身ながら、なほこの際はこよなかりけるほどおぼし知らる。時雨をり知り顔なり。
「紫の雲にまがへる菊の花 濁りなき世の星かとぞ見る
時こそありけれ」と聞こえたまふ。



太政大臣は、「共に青海波を舞った頃、光源氏と自分は同等の男だと思っていたが、この男に結局かなわなかった」とはっきり認識したのでした。

夕風の吹き敷く紅葉のいろいろの濃き薄き、錦を敷きたる渡殿の上見まがふ庭の面に、容貌をかしき童べの、やむごとなき家の子どもなどにて、青き赤き白橡、蘇芳、葡萄染など、常のごと、例のみづらに、額ばかりのけしきを見せて、短きものどもをほのかに舞つつ、紅葉の蔭にかへり入るほど、日の暮るるもいとほしげなり。(藤裏葉の巻)

舞う童たちの姿は数十年昔の自分たちの姿なのでした。 




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<朗読会>声と響き 木霊する源氏物語
2018年3月24日(土)朗読会を開催します。
皆さまのご来場をお待ちしております。
よりお申し込み画面にお進みください。参加費のお支払い(高校生以下は不要)で、お申し込みの受付が完了いたします。
チケットの提示は不要です。当日は、受付にてお名前をお伝えください。

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お申込後、以下の口座にお振込ください。
  京都銀行 修学院支店 普通口座 3299189 キシモトクミコ
振込手数料はご負担をお願い致します。


【お問い合せ】 岸本久美子 公演会事務局
電話 075-701-0900 
eメール kumiko.kishimoto.pro@gmail.com


2017年11月20日月曜日

公演会「声と響き 木霊する源氏物語」を3月24日(土)に開催します。

声と響き 木霊する源氏物語
朗読と唄で織りなす物語

――― 自らの恋を封印して、高貴な女性であり続けた藤壺 ―――
――― 恋する女の喜びと悲しみに、われとわが身を委ねた朧月夜 ―――

古典の世界を声の響きのうちに呼び寄せようとする試みです。源氏物語の世界を、語りと朗読、唄とで構成しています。源氏物語は光源氏の物語ではありますが、そこに描かれているのは、光源氏をめぐる男女の様々な人物像でもあります。登場する多くの女君たちの中から、今回は「藤壺」と「朧月夜(おぼろづきよ)」をとりあげてみました。


朗読 岸本久美子 Kumiko Kishimoto
山口県山口市出身。お茶の水女子大学国文科卒業。王朝文学に憧れて東京から京都に移り住む。京都市立高校で国語教育に携わるかたわら、源氏物語を中心とする王朝文学関係の市民講座・講演の講師として活躍。日本朗読検定協会インストラクターの資格を持ち、大阪中央公会堂などでの朗読公演も回を重ねている。
現在、京都市立堀川高校非常勤講師。


唄 上野洋子 Yoko Ueno (ソプラノ)
京都市出身。京都市立芸術大学大学院音楽研究科声楽専修修了。ウィーン国立音楽大学リート・オラトリオ科卒業。ウィーン国立歌劇場専属合唱団に9年間所属。12年間のオーストリア滞在を経て、帰国後は新たに能楽や民謡などの日本伝統曲のアレンジにも精力的に取り組む。また最近では、声そのものの在り方を音楽療法的に意識し、特に高齢者を対象にした研究に力を入れている。
京都市立芸術大学音楽学部声楽専任講師。


【日時】 2018年3月24日(土)14:00 開演 (13:30 開場/15:30 閉演)

【会場】 京都堀川音楽高等学校 音楽ホール


京都市中京区油小路通御池押油小路町238―1
市営地下鉄東西線 二条城前駅 下車 2番出口 徒歩2分/市バス 堀川御池 下車 徒歩2分
*御池通側の南門(グランド入口)からお入りください。
*駐車場、駐輪場はありません。公共の交通機関をご利用ください。

【入場料】 大人1,500円 (高校生以下無料/全席自由席)

【申込期限】 2018年3月22日(木) *定員に達ししだい締め切ります。

【申込方法】
▶ ファックスにてお申し込み
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2017年11月17日金曜日

王朝人の愛した菊


皇室の御紋は菊の花。鎌倉時代に後鳥羽天皇が菊の花を好まれ、家紋とされたということです。菊の花は、奈良時代から平安時代にかけて中国から伝わり、様々な栽培種が広がったようです。今は350種もあるそうです。




菊は昔から秋を代表する花として、また、長寿をもたらす花として、愛されてきました。
源氏物語でも、菊は、桜や梅にははるかに及ばないものの、数多く登場する花です。

王朝時代には、霜にあたって、少し色が変わったものが格別美しいとされました。
源氏物語の中で一番有名な菊は、若く美しい盛りの光源氏が、当時の院の賀のおりに御前で青海波を舞った時、冠に挿した菊の花でしょう。

かざしの紅葉いたう散りすぎて、顔のにほひにけおされたるここちすれば、御前なる菊を折りて、左大将さしかへたまふ。日暮れかかるほどにけしきばかりうちしぐれて、空のけしきさへ見知り顔なるに、さるいみじき姿に、菊の色色うつろひ、えならぬをかざして、今日はまたなき手を尽くしたる入綾のほど、そぞろ寒く、この世のことともおぼえず。(紅葉の賀の巻)


美しい源氏の舞姿に色変わりした菊の花が艶を添え、その素晴らしさに、見る人はみな感動の涙を流したとあります。どんな菊だったのでしょうか。

また、菊は9月9日に着せ綿をしてその露で肌を拭うと寿命が延びるとされていて、王朝人の間では流行していたようです。紫式部日記にもそのことが書かれています。源氏と紫の上もその着せ綿で互いに顔を拭い合って長寿を祈ったのでしょう。紫の上が亡くなった後、むなしく着せ綿のされている菊を見て、源氏が悲しみを新たにする場面があります。

九月になりて、九日、綿おほひたる菊を御覧じて、
もろともにおきゐし菊の朝露も ひとり袂にかかる秋かな(幻の巻)

宇治十帖では時の帝が、愛する娘女二宮を薫に譲りたいという気持ちを伝えるにあたって、女二宮を菊の花によそえています。

御前の菊うつりひ果てで盛りなるころ、(略)「まづ今日はこの花一枝をゆるす」とのたまはすれば、御いらへ聞こえさせで、下りておもしろき(菊の)枝を折りて参りたまへり。
(薫)世のつねの垣根ににほふ花ならば 心のままに折りて見ましを
と奏したまへる、用意あさからず見ゆ。
(帝)霜にあへず枯れにし園の菊なれど のこりの色はあせずもあるかな
とのたまへり。(宿木の巻)


薫は庭の菊の花を折って手にしながら、「こういう普通の菊なら思いのままに折り取ってめでましょうものを」と遠慮しています。結局、この女二宮の婿となりました。

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2017年11月8日水曜日

夕霧が通い、浮舟が暮らした小野の里

源氏物語で、「小野の里」は、夕霧が通った、一条御息所の山荘があった場所として、そして、助けられた後に浮舟が住んだ山里として登場しています。
「小野の里」は、現在の一乗寺、修学院あたりから八瀬大原あたりまでの、比叡山東麓のひろい範囲を指したようです。

一条の御息所の山荘があったのは、修学院あたりかと思われます。夕霧は御息所と一緒に住む娘の落葉の宮が目当てで、小野の里へ足繁く通います。やがて、母御息所は亡くなり、夕霧は、落葉の宮を慰めようと山荘を訪ねます。

九月十余日、野山のけしきは、深く見知らぬ人だにただにやはおぼゆる。山風に堪えぬ木々の梢も、峰の葛葉も、心あわたたしうあらそひ散るまぎれに、尊き読経の声かすかに、念仏などの声ばかりして、人のけはひいと少なう、木枯の吹き払ひたるに、鹿はただ籬のもとにたたずみつつ、山田の引板にもおどろかず、色濃き稲どものなかにまじりてうち鳴くも、愁へ顔なり。(夕霧の巻)


今の修学院、松ヶ崎あたりは、勿論千年前の風景とは変わっているでしょうが、それでも、まだ稲田も残り、田舎の雰囲気をとどめています。鹿も、時々、高野川沿いに下りてきています。
落葉の宮や浮舟も、この、同じ高野川の流れの音を耳にしたのかと思うとちょっと感動します。
高野川を下って来た鹿

宇治から、この小野の里に移り住んだ浮舟はこの山里を風情ある所と感じています。

昔の山里(宇治)よりは、水の音もなごやかなり。(家の)造りざま、ゆゑある所の、木立おもしろく、前栽などもをかしく、ゆゑを尽くしたり。秋になりゆけば、空のけはひあはれなるを、門田の稲刈るとて、所につけたるものまねびしつつ、若き女どもは歌うたひ興じあへり。引板ひき鳴らす音もをかし。(手習の巻)


浮舟の暮らしたこの山荘は、叡山横川に通じる道の下にありましたから、修学院よりもう少し奥の、大原よりの所だったと思われます。本文にも、「かの夕霧の御息所のおはせし山里よりは、今すこし入りて、山に片かけたる家なれば・・・・」とあります。
京を少し離れると稲田があり鹿が鳴いている、というのが、お決まりのイメージで、小野の里とはまさにそういう場所でした。

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