2017年11月17日金曜日

王朝人の愛した菊


皇室の御紋は菊の花。鎌倉時代に後鳥羽天皇が菊の花を好まれ、家紋とされたということです。菊の花は、奈良時代から平安時代にかけて中国から伝わり、様々な栽培種が広がったようです。今は350種もあるそうです。




菊は昔から秋を代表する花として、また、長寿をもたらす花として、愛されてきました。
源氏物語でも、菊は、桜や梅にははるかに及ばないものの、数多く登場する花です。

王朝時代には、霜にあたって、少し色が変わったものが格別美しいとされました。
源氏物語の中で一番有名な菊は、若く美しい盛りの光源氏が、当時の院の賀のおりに御前で青海波を舞った時、冠に挿した菊の花でしょう。

かざしの紅葉いたう散りすぎて、顔のにほひにけおされたるここちすれば、御前なる菊を折りて、左大将さしかへたまふ。日暮れかかるほどにけしきばかりうちしぐれて、空のけしきさへ見知り顔なるに、さるいみじき姿に、菊の色色うつろひ、えならぬをかざして、今日はまたなき手を尽くしたる入綾のほど、そぞろ寒く、この世のことともおぼえず。(紅葉の賀の巻)


美しい源氏の舞姿に色変わりした菊の花が艶を添え、その素晴らしさに、見る人はみな感動の涙を流したとあります。どんな菊だったのでしょうか。

また、菊は9月9日に着せ綿をしてその露で肌を拭うと寿命が延びるとされていて、王朝人の間では流行していたようです。紫式部日記にもそのことが書かれています。源氏と紫の上もその着せ綿で互いに顔を拭い合って長寿を祈ったのでしょう。紫の上が亡くなった後、むなしく着せ綿のされている菊を見て、源氏が悲しみを新たにする場面があります。

九月になりて、九日、綿おほひたる菊を御覧じて、
もろともにおきゐし菊の朝露も ひとり袂にかかる秋かな(幻の巻)

宇治十帖では時の帝が、愛する娘女二宮を薫に譲りたいという気持ちを伝えるにあたって、女二宮を菊の花によそえています。

御前の菊うつりひ果てで盛りなるころ、(略)「まづ今日はこの花一枝をゆるす」とのたまはすれば、御いらへ聞こえさせで、下りておもしろき(菊の)枝を折りて参りたまへり。
(薫)世のつねの垣根ににほふ花ならば 心のままに折りて見ましを
と奏したまへる、用意あさからず見ゆ。
(帝)霜にあへず枯れにし園の菊なれど のこりの色はあせずもあるかな
とのたまへり。(宿木の巻)


薫は庭の菊の花を折って手にしながら、「こういう普通の菊なら思いのままに折り取ってめでましょうものを」と遠慮しています。結局、この女二宮の婿となりました。

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