2018年8月27日月曜日

艶っぽく咲く朝顔




 去年の花からとれた種を20ばかり植えた所、良く育って、このところ毎朝20輪以上の大輪が咲いて目を楽しませてくれます。

「朝顔」はその名の通り、確かに美しい女性がやさしく微笑みかけている顔のような風情で咲きますね。
日が高くなると、見る見るくったりしてしまうところが寂しいですが。

源氏の君が、愛人の元を訪れ、朝まだき帰ろうとすると、庭に朝顔が咲いています。

見送りについてきている侍女が、また、若くて美しい。そこで思わず戯れの歌を詠みかけました。


  廊のかたへおはするに、中将の君(侍女の名)、御供に参る。紫苑色の、をりにあひたる、羅の裳あざやかに引き結ひたる腰つき、たをやかになまめきたり。(源氏の君は)見返りたまひて、隅の間の高欄にしばしひき据ゑたまへり。うちとけたらぬもてなし、髪のさがりば、めざましくも、と見たまふ。 「咲く花にうつるてふ名はつつめども 折らで過ぎうきけさの朝顔いかがすべき」 とて、手をとらへたまへれば、いと馴れて疾く、 「朝霧のはれまも待たぬけしきにて 花に心をとめぬとぞ見る」 とおおやけごとにぞ聞こえなす。をかしげなる侍童の、姿このましう、ことさらめきたる、指貫の裾露けげに、花のなかにまじりて、朝顔折りて参るほどなど、絵にかかまほしげなり。《夕顔の巻》 



「朝顔の花のようにあでやかに美しいあなたを手折らずにはいられない」と、いかにも色好みらしく侍女の手を握るのですが、彼女も馴れたもので、源氏の君の歌を、女主人に宛てたものにすり替えて、「朝霧が晴れて花の姿がはっきり見えるのを待たずにお帰りになるなんて・・・・」と答えています。機転の利く侍女です。

そのようなやりとりの後、可愛らしい童を庭に下ろして、朝顔の花を折らせ、源氏の君に差し上げさせたとあります。




2018年8月12日日曜日

夕霧が手にした藤袴




上高地梓川のほとりには藤袴がたくさん咲いていました。(藤袴は類似の花が色々あるそうなので、もしかしたら純正藤袴ではないかもしれませんが。)

源氏物語には藤袴という巻があります。これは、夕霧が玉鬘という女性に、藤袴の花を歌と共に贈った所から付けられた巻名です。

夕霧というと、とにかく真面目一辺倒で、父親の光源氏とは対照的な人物と思われがちですが、女性に興味がなかったわけではありません。ただ、父親のように華やかな恋のアヴァンチュールとは無縁でした。

以前、ちらりと垣間見した玉鬘の美しさに惹かれていた夕霧は、父の使いで玉鬘を訪れた機会に恋心を訴えます。

 (夕霧は)かかるついでにとや思ひ寄りけむ、蘭の花(藤袴の別名)のいとおもしろきを持たまへりけるを、御簾のつまよりさし入れて、「これも御覧ずべきゆゑはありけり」とて、とみにもゆるさで持たまへれば、うつたへに思ひも寄らで取りたまふ御袖を、引き動かしたり。

同じ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかことばかりも《藤袴の巻》
  

藤袴の花を、御簾の端からさし入れて、それを受取ろうと手を伸ばした玉鬘の袖をつかまえて、求愛の歌を詠みかけています。
玉鬘は、まったく相手にしませんでしたが。

2018年8月8日水曜日

女郎花多かる野辺




去年、女郎花や藤袴が自生する野原は今やほとんどなくなったと書きました。

先日、奥上高地周辺でそれを見つけました。
梓川沿いの河原に藤袴が群生、女郎花もあちこちに群れ咲いていました。
ああ、昔は京の周辺にもこういう風景があったのだろうなあと思ったことでした。



女郎花は、古今集の「女郎花多かる野辺に宿りせばあやなくあだの名をや立つべき」というよく知られた歌にもある通り、名前の字面から、魅力的あるいは蠱惑的な女性を象徴する花です。

源氏物語では,なぜか宇治十帖に多く登場します。
薫が明石中宮の女房たちとじゃれ合っている場面をご紹介しましょう。

 

かたへは几帳のあるにすべり隠れ、あるはうち背き、おしあけたる戸の方にまぎらはしつつゐたる頭つきどもも、をかしと見わたしたまひて、硯ひき寄せて

「女郎花みだるる野辺にまじるともつゆのあだ名をわれにかけめや

心やすくはおぼさで」と、ただこの障子にうしろしたる人に見せたまへば、うちみじろきなどもせず、のどやかに、いととく、

花といえば名こそあだなれ女郎花なべての露にみだれやはする

と書きたる手、ただかたそばなれど、よしづきて、おほかためやすければ、誰ならむ、と見たまふ。(蜻蛉の巻) 



突然現れた薫に驚いて、女房たちはそこらに隠れます。顔を隠していますが、頭や後姿はみえているようです。

薫が、「女遊びなど無縁な私なのにどうして皆さん逃げてしまわれるのですか」と歌を書いて見せるとそこにいた女房も素早く歌を書いて応えています。

「名前が女郎花だからといって、女郎花だってそう簡単に靡いたりしませんわ」
本当に、この時代の人たちは、歌の応酬でいとも軽やかに場を作ったのですね。

歌を詠みかけるというナンパの手段、便利だったかもしれません。