2017.6.25.長建寺の雨 |
源氏が玉鬘を相手に物語論を展開したのもそういう五月雨の日でした。
長雨例の年よりもいたくして、晴るる方なくつれづれなれば、御方々、絵物語などのすさびにて、明かし暮らしたまふ。(略)殿(源氏)も、こなたかなたにかかるものども散りつつ、御目に離れねば、「あなむつかし。女こそものうるさがらず、人にあざむかれむと生まれたるものなれ。ここらの中に、まことはいと少なからむを、かつ知る知る、かかるすずろごとに心をうつし、はかられたまひて、暑かはしき五月雨の、髪の乱るるも知らで、書きたまふよ」(蛍の巻)
2017.6.25雨の鴨川 |
源氏は、ここで、嘘ばかり書かれているのが物語と言っていますが、この後、玉鬘が反論すると、論調を変えて「日本紀などはただかたそばぞかし。これらにこそ道々しくくはしきことはあらめ」と物語が歴史の真実を語っていると言っています。
ご存じのように、紫式部の文学観を示すものとして有名な言葉です。
五月雨のつれづれはまた様々な懐古の思いに駆られる時でもあったようです。
葛の葉に雨露の玉 |
源氏が紫の上亡きあとの寂しさを息子夕霧に漏らしたのも五月雨の夜でした。