2017年8月22日火曜日

女郎花揺れるころ


 野分吹く頃に咲く花はみな茎が細く長い。

 強い風にはひとたまりもなくなびき倒れ伏すようなものばかり。萩の花などはその典型ですが、女郎花も御多分に漏れず、細い茎の先に小さい花の冠をつけます。少しの風にもゆらゆら揺れています。なぜ台風のシーズンにこのか弱い姿で・・・と思ったのですが、よく考えてみると、風に抵抗しないで倒れてしまうからこそ、生き延びられるのだと気づきました。
 
ところで、女郎花はその字面もあってか、万葉集以来多くの歌に詠まれてきました。源氏物語の中でも多く登場しています。実際に多くの貴族の家で、庭に植えていたようです。



 御前に人も出で来ず、いとこまやかにうちささめきかたらひ聞こえたまふに、いかがあらむ、まめだちてぞ立ちたまふ。女君(玉鬘)


吹き乱る風のけしきに女郎花

しおれしぬべきここちこそすれ


くはしくも聞こえぬに、うち誦じたまふをほの聞くに、(略)立ち去りぬ。御返り、
    

「した露になびかましかば女郎花 荒き風にはしをれざらまし  なよ竹を見たまへかし」(野分)


 この場面は源氏が息子夕霧を引き連れて女君たちのところを野分の見舞に回って、玉鬘を訪れたところです。
 少し離れた所から、夕霧がこっそりのぞいていると、二人は親子のはずなのに(玉鬘は成人したのちに見つけられて源氏の元にひきとられた)なぜか色めいた雰囲気。源氏は玉鬘を抱き寄せたりしている・・・・。まじめな夕霧は「あなうとまし」とあきれつつ、その場をそっと離れたのでした。
 玉鬘と源氏の歌は、目の前にある、風で倒れた女郎花になぞらえたものです。
 


 玉鬘は「あなたの無体な恋に私は倒れて死んでしまいそうです」と訴え、源氏は「私にすべてを任せてしまえばそんなに苦しむことはなかろうに」と中年男のいやらしさ満載の歌を返しています。


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2017年8月18日金曜日

真夏の光源氏の食卓

昔も夏は暑かったようです。どうやら、王朝人は寒さには強かったけれど、暑さには弱かったようです。ここに紹介する場面も本当に暑そうです。
 
 真夏のある日、源氏は自宅六条院の、池に張り出した釣殿で息子夕霧と涼んでいます。そこに、夕霧のいとこたちがやってきました。源氏は西川(桂川)でとれた鮎や近くの川でとれた「いしぶし」(ハゼのような魚らしい)を食べ、来客たちにはお酒と氷水、水飯を出してもてなしています。
 氷は冷蔵庫などなかったこの時代、半年間氷室で保管していたものを取り寄せるのですから、大変貴重なものです。

氷水漬けのごはん

 いと暑き日、東の釣殿に出でたまひて涼みたまふ。中将の君(夕霧)もさぶらひたまふ。親しき殿上人あまたさぶらひて、西川よりたてまつれる鮎、近き川のいしぶしやうのもの、御前にて調じて参らす。例の大殿の君達、中将の御あたり尋ねて参りたまへり。「さうざうしくねぶたかりつる、をりよくものしたまへるかな」とて、大御酒参り、氷水召して、水飯など、とりどりにさうどきつつ食ふ。
 風はいとよく吹けども、日のどかに曇りなき空の西日になるほど、蝉の声などもいと苦しげに聞こゆれば、「水の上無徳なる今日の暑かはしさかな。無礼の罪はゆるされなむや」とて寄り臥したまへり。「いとかかるころは、遊びなどもすさまじく、さすがに暮らしがたきこそ苦しけれ。宮仕へする若き人々堪へがたからむな。帯紐解かぬほどよ。・・・・」(常夏の巻)



 源氏は太政大臣の位にあるとはいえ、滅多に出仕することもないので、今で言えば、ネクタイと無縁になっているため、若者たちが、帯紐締めたまま、つまり、ネクタイをしめたままなのを「さぞかし暑かろう」と同情し、自分は暑くてたまらないと横になっています。

 今日のお昼は、源氏のまねをして鮎の塩焼きと氷水漬けのご飯にしてみました。今のごはんと当時のごはんは違いますが・・・・・。

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2017年8月11日金曜日

浮舟の見た桔梗

桔梗は清楚でどこか寂し気に咲く花。
この頃、うちの近くでもよく見かけます。
 源氏物語では、その名は、一度だけ、浮舟とともに登場しています。
 
 命を助けられて、大原に近い比叡山の麓の山荘で、老尼たちと、静かに暮らす日々。浮舟は、自らを、「世になきもの」と思いなして、助けてくれた尼君たちにも、一切、過去を語りません。
 
 ある日、尼君の亡き娘の婿であった男が、横川に通う道すがら、その山荘に立ち寄ります。その、京の空気をまとった男たちの姿に、浮舟は薫を思い出しています。

 前駆うち追ひて、あてやかなる男の入り来るを(浮舟は)見出して、忍びやかにおはせし人の御さまけはひぞ、さやかに思ひ出でらるる。

 これもいと心細き住ひのつれづれなれど、住みつきたる人々は、ものきよげにをかしくしなして、垣ほに植ゑたる撫子もおもしろく、女郎花、桔梗など咲きはじめたるに、いろいろの狩衣姿の男どもの若きあまたして、君も同じ装束にて、南面に呼びすゑたれば、うちながめてゐたり。(手習の巻)


 浮舟は薫を思い出しはしても、過去の暮らしに戻りたいとは決して思いません。
 
 薫や匂宮といった身分高い男性から愛された、華やかな過去をすべて捨て去った浮舟。
 その寂しい横顔は桔梗の花に似ています。

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2017年8月2日水曜日

源氏物語:空蝉の夏

蝉の抜け殻は、中から蝉が生まれ出たとたんに、プラスティックのように固くなるのでしょうか。半透明の複雑な形をした代物。この小さい背中の割れ目から、蝉はどうやって上手に抜け出すのだろうかといつも不思議に思います。
 
 真夏の暑い夜のことです。光源氏が方違えで訪れた紀伊の守の屋敷に、主の義母に当たる女性が泊まっていました。このころの、まだ17歳という若さの源氏は、まさに恋の狩人。相手のことは考えず、興味を持った女性にはすぐに言い寄っていました。この夜も無理にその義母と契ったのでした。けれども、その後、彼女は源氏を避け続けます。ある夜も、危うい所を逃れたのでしたが、後に、蝉の抜け殻のような薄い着物を残してしまいました。源氏はその着物を持ち帰って彼女の匂いを嗅いで懐かしみます。
 このことから彼女は空蝉と呼ばれます。

(源氏の君は)しばしうち休みたまへど、寝られたまはず。御硯、急ぎ召して、さしはへたる御文にはあらで、畳紙に、手習のやうに書きすさびたまふ。
 うつせみの身をかへてける木のもとに
     なほ人がらのなつかしきかな
と書きたまへるを、(小君は)懐に引き入れて持たり。かの薄衣は、小袿のいとなつかしき人香に染めるを、身近くならして、見ゐたまへり。(空蝉)
 
 
 空蝉は小君(弟)が持ち帰った源氏からの手紙を読んで、着物が汗臭かったのではないかと気が気ではありません。こんな貴公子に独身の時に巡り合えていたらとひそかに若く美しい源氏の君を思うのでした。
蝉の抜け殻は葉っぱの裏に多く付いている

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