2020年10月3日土曜日

朗読会のお知らせ

 長い事御無沙汰してしまいました。

今日は朗読公演のお知らせです。

 広い会場を借りて、感染対策をしたうえでの開催を決めました。定員の三分の一以下の客席で実施しますので、安心してお越しになって下さい。(人数管理の為事前のお申込みをお願いします)岸本または事務局080-3841-3746まで

         

          第二回 言葉の森の小径をゆく 

        ――作品世界を朗読と音楽にのせて――

 日時   2020年 11月22日(日)AⅯ10:10〜12:00 開場9:40

 場所   京都駅前 メルパルク京都 7階 スタジオ オリオン

 演目   『蛍』         織田作之助作    岸本久美子

      『シューシャインボーイ』浅田次郎作     磯崎 敬子

       音楽担当                 角  香織



2020年5月19日火曜日

もののけ と ウィルス



もののけは、験者によって祈り伏せられて、正体を明かしてしまうと力を失って、消え去って行く。

これはつまりウィルスと同じですよね。正体をつきとめることができれば消滅させることが可能になると言うことですから。2020年に生きる私たちを苦しめている新型コロナもその正体が明らかにならないが故に消滅させることができない。 

源氏物語の時代、人々は病気はすべてもののけによって起こると思っていました。そしてそれは他の人にうつるとも考えていました。ですから、同じ屋敷の中で死者がでると、死穢(しゑ)に触れたということで、忌に籠らねばなりません。宮中への参内はもちろんできず、人と間近で会う事も避けなければなりません。
 
静岡市宇津の谷トンネル

病気や死が感染力を持つウィルスによるものである可能性があると仮定すれば、この王朝人の意識と行動は実に理に適っているわけです。
いくつか源氏物語の中から例を挙げましょう。

夕顔の巻で夕顔が突然息絶えてしまった時、源氏の君は自分の身の危険も顧みず、彼女を抱きかかえたと書かれています。
つまり、もののけに襲われている=病に襲われている人に触れることは危険な行為だと認識されていたわけです。そして、その後、源氏の君は実際に寝込んで衰弱し、一か月余り公の場には出なかった。
心配した帝の使いの者とも顔を合わせることなく、親しい頭中将だけに、御簾を隔てたままで会いました。そして、思いがけない穢れに触れたので参内できないと帝に伝えてくれるよう頼んでいます。

結果的には、いわゆる自宅待機による自己隔離をしたことになるわけです。

また別の例を挙げると、これは若菜下の巻ですが、紫の上が倒れた時、養女の明石女御が心配して見舞に来ると、「ただにもおはしまさで、もののけなどいと恐ろしきを、早く参りたまひね」と身重な女御にもののけ=自分の病気が移ることを心配して、早くお戻りなさいと言っています。

身重の時はもののけがつきやすいので、特に気を付けなければならないと考えられていたようです。


もう一つだけ例を引きましょう。
夕霧の巻です。病に倒れた御息所(落葉の宮の母)が祈祷などの治療のために比叡山の麓の山荘に移りました。その時のことです。



「御もののけむつかしとて、とどめたてまつりたまひけれど、いかでか離れたてまつらむと、慕ひわたりたまへるを、人に移り散るを懼ぢて、すこしの隔てばかりに、あなたにはわたしたてまつりたまはず」(母御息所は、自分についているもののけが恐ろしいからと、落葉の宮を京に留めようとなさったけれど、宮はどうして離れて暮らせましょうと慕いなさるので、山荘に伴われたけれど、移るのを恐れて自分の病室にはお近づけにならない)と書かれています。

もののけの憑いている人は隔離して、他の大切な人に移らないようにしているのです。

全く≪もののけ≫はウィルスそのものではありませんか!






2020年4月5日日曜日

姉妹の桜あらそい その後


桜が散り始めました。
 
疎水に散る桜



前回、源氏物語絵巻に描かれた、竹河の巻の、庭の桜の所有権を姉妹が争う場面をご紹介しました。
玉鬘と髭黒との間にできた娘たちです。

囲碁の勝負に妹君が勝って、桜は妹君のものということになりました。

数日して、強い風が吹いて、慌ただしく散る桜を見て、負けた姉君は「私に心を寄せてはくれなかった桜だけど、そうは思っても、散るのを見ると心が騒ぐわ」と言い、姉付きの侍女は「こちらのものにならなくっても悔しくなんかないわ。どうせ散って無くなってしまうんですもの」と負け惜しみを言います。

妹君は「あ~ら。花は散ってしまうけど枝だって私のものよ」と言い返します。
妹付きの侍女は「花びらよ、散ってもこちらに寄っておいで」と付け加え、妹側の童女は、庭に下りて花びらを集めて来て「私たちのものよ」と誇らしげに言うのでした。
 本文をご紹介しましょう。

負け方の姫君「桜ゆゑ風に心のさわぐかな 思ひぐまなき花と見る見る」

御方(姉君方)の宰相の君、「咲くと見てかつは散りぬる花なれば 負くるを深き恨みともせず」と聞こえ助くれば、

右の姫君(妹君)「風に散ることは世の常枝ながら うつろふ花をただにしも見じ」

この御方の大輔の君「心ありて池のみぎはに落つる花 あわとなりてもわが方に寄れ」

勝ち方の童女おりて、花の下にありきて、散りたるをいと多く拾ひて、持て参れり。
「大空の風に散れども桜花 おのがものとぞかきつめて見る」

《竹河の巻》 

高瀬川に散り淀む花びら

やりとりが、全て歌で行われているのが優雅です。

こんなふうに和やかに仲良く暮らしてきた姉妹ですが、やがて姉君は冷泉院に、妹君は帝に嫁ぎ、それぞれに悩みを抱えながら別々の人生を歩むことになります。



2020年3月23日月曜日

国宝源氏物語絵巻の桜



12世紀、院政時代のものとされる国宝源氏物語絵巻は、当初、百場面くらいの絵があったらしいということですが、今残っているのは十九場面ほどです。


絵巻に描かれた桜はこんな感じ
その中に一つだけ、桜が描かれているものがあります。里桜というのでしょうか。褪色していて、色はよくわかりませんが、花びらは少し離れて五枚ずつ描かれています。
いわゆる典型的な桜の花の姿をしています。

絵の真ん中に、満開の桜の木。その手前に、垣間見する男、夕霧の息子蔵人の少将が描かれています。そした、桜の木のむこうに、二人の娘が碁盤を囲む姿。
玉鬘の娘の大君と中君です。
二人は庭の桜がどちらの所有であるかを、碁の勝負で決めようとしているのです。
夕暮れになって、室内は暗いので、外に近い所に碁盤を運び、御簾も巻き上げてありましたから、覗かれれば丸見えです。

 昔よりあらそひたまふ桜を賭物にて、「三番に数一つ勝ちたまはむかたに、花を寄せてむ」とたはぶれかはし聞こえたまふ。暗うなれば、端近うて打ち果てたまふ。御簾巻き上げて、人々皆いどみ念じきこゆ。をりしも例の少将、侍従の君の御曹司に来たりけるを、うち連れて出でたまひにければ、おほかた人少ななるに、廊の戸のあきたるに、やをら寄りてのぞきけり。(略)若き人々のうちとけたる姿ども、夕ばえをかしう見ゆ。《竹河の巻》

これはソメイヨシノ

三番勝負で結局中君(妹)の方が勝ちます
絵巻には、碁盤を囲む姉妹の他に、それを見守りながらくつろいでいる侍女たちの華やかな姿が描かれています。なんとものどかな場面です。




2020年3月19日木曜日

木霊する源氏物語第3弾延期のお知らせ

またもや残念なお知らせです。
5月に予定しておりました「木霊する源氏物語」の第三回目公演は延期となりました。
準備を進めて参りましたが、関係者で相談の結果、今回は見送ろうという結論になりました。
参加を予定していて下さった方にはご迷惑をお掛けします。いずれ改めて実施するつもりですので、その折にはまたよろしくお願いします。




2020年3月4日水曜日

玉鬘ーーー三稜(みくり)の筋を辿って

みくり 真ん中に筋があります



源氏の君は、自分が連れ出した為に死なせてしまった夕顔という女性のことが忘れられずにいました。
その夕顔には幼い娘(父親は源氏ではない)がいたはずなのですが、行方が知れません。探し続けて、20年ちかくも経ってから、奇跡的にその娘を見つける事が出来たのでした。すぐにも手元に引き取りたい思いでしたが、どのような娘なのか、自分の元にある者として恥ずかしくない教養を身に付けてはいるのだろうかと、値踏みするべくまずは手紙を出したのでした。

その手紙の最後に書きつけたのがこの歌です。

(源氏)「知らずとも尋ねて知らむ三島江に 生ふる三稜(みくり)の筋は絶えじを

【あなたは知らないかもしれませんが、あなたと私は切っても切れない筋でつながっているのです】 

それに対して玉鬘はこう返歌しました。

(玉鬘)「数ならぬ三稜や何の筋なれば うきにしもかく根をとどめけむ」

【数ならぬ身の私はどういう筋合いでこの憂き世に生まれ育ったのでしょうか】


「うき」は泥のことで、憂きとの掛詞になっています。

この返しの歌と筆跡で「合格」となり、彼女は源氏の邸にひきとられたのでした。

ところで、この「三稜」は沼沢に自生する草で背面中央に突起した筋があるので、「筋」を導きます。この草をずっと探していたのですが、なかなか見つかりません。
はっと思い当たって、城南宮の源氏の庭を訪ねて見ました。

ありました。ただ、まだ早春で葉は長く伸びてはいず、若草でしたが。




2020年3月2日月曜日

末摘花と紅梅


紅の花=赤い鼻?


源氏物語の中には、笑いものにされている女性が三人います。
皆さんもご存知でしょうが、近江の君と末摘花、源典侍です。これらの女性の描き方には、紫式部のちょっと意地悪な面が(あるいは意地悪を装っている面が)のぞいているように思います。

近江の君は育ちの悪さを、源典侍はその好色ぶりを、末摘花はその古風さと容貌の異様さ(鼻が長くて先が赤い)とが笑いものになっています。

末摘花の元を訪れて、自宅に戻った源氏の君は、かわいらしく美しい若紫を見て、二人の容貌のあまりの違いに、複雑な気持ちになります。

自分の鼻の先に赤く紅を塗って若紫に見せて、「こんな顔になったらどうする?」と言って戯れたりもしています。




庭の紅梅が咲き初めたのを見ても、末摘花の鼻を思い出してしまうのでした。

日の、いとうららかなるに、いつしかと霞わたれる梢どもの、心もとなきなかにも、梅はけしきばみほほゑみわたれる、とりわきて見ゆ。階隠のもとの紅梅、いと疾く咲く花にて、色づきにけり。「紅の花ぞあやなくうとまるる 梅の立ち枝はなつかしけれど 、いでや」とあいなくうちうめかれたまふ。《末摘花の巻》 


「梅の高く伸びた枝には心惹かれるけれど、先に赤い花を付けているのを見ると、わけもなくいやになる」などと一人で呟いているのでした。




2020年2月27日木曜日

源氏物語特別講座中止のお知らせ


3月14日に堀川高校で実施を予定しておりました源氏物語特別講座は、新型コロナウイルス感染拡大防止策に則って中止となりましたのでお知らせします。
大変残念ですが、仕方がありません。
一日も早く感染拡大が収束することを祈るばかりです。





2020年2月11日火曜日

源氏物語に見る初子(はつね)の日の風習





旧暦の正月もとっくに過ぎてしまいましたが、源氏物語に表れた新年の行事

をご紹介します。

新しい年に初めて巡って来た子(ね)の日に、小松を根から引いて、長寿を願う行事がありました。
今も、お正月の門飾りに、根付きの小松を飾るお宅を時々見かけます。
初音の巻では元旦と初子の日が重なってこれほど長寿を寿ぐに相応しい日はないと語られています。

(元旦の)今日は子の日なりけり。げに千年の春をかけて祝はむに、ことわりなる日なり。姫君の御方にわたりたまへれば、童女、下仕へなど、御前の山の小松引き遊ぶ。若き人々のここちども、おきどころなく見ゆ。《初音の巻》 

近所で見かけた小松の門飾り



もう一か所、初子の日が出てくるのが、若菜の巻です。髭黒に嫁いだ玉鬘が源氏の君の四十の賀を祝って、盛大な宴会を開きました。玉鬘は二人の幼い息子を伴っています。

正月二十三日、子の日なるに、左大将の北の方(玉鬘)若菜参りたまふ。


小松引きと、もう一つ、この日には若菜を摘んで食べる風習があり、これも同じく長寿を願うものでした。今の七草粥にこの風習は受け継がれていると思います。

(玉鬘)「若葉さす野辺の小松をひきつれてもとの岩根を祈る今日かな」とせめておとなび聞こえたまふ。

沈の折敷四つして、御若菜、さまばかり参れり。ご土器取りたまひて、(源氏)「小松原末のよはひにひかれてや野辺の若菜も年をつむべき」など聞こえかはしたまひて、上達部あまた、南の廂に着きたまふ《若菜上の巻》 


玉鬘の歌の「小松」は、初子の小松に因んで、伴った息子たちのこと、「もとの岩根を祈る」は、自分を育ててくれた源氏の長寿を祈るといった意味合いです。

源氏の君は玉鬘の献じた若菜を形ばかり口にして、お酒を飲んだとあります。若菜はどんなふうに料理されていたのでしょうね。おそらく、単に茹でただけだったのでしょう。


初子の若菜は宇治十帖手習の巻にも登場します。
寂しい山里で新年を迎えた浮舟の元にも若菜が届きます。
浮舟が出家してしまったことを、惜しみ悲しみながらも慈しむ尼君と浮舟は、若菜を前に歌を詠みかわしています。

(尼)山里の雪間の若菜摘みはやし なほ生いさきのたのまるるかな
(浮舟)雪ふかき野辺の若菜も今よりは 君がためにぞ年もつむべき


尼は、浮舟に「雪間に若菜を摘んで、あなたの長寿を祈ります。あなたのこれからの行く先が、出家なさったとはいえ、やはり楽しみなことです。」と優しい言葉をかけ、浮舟も「あなたさまのために私も長生きいたしましょう」と答えています。