2017年7月28日金曜日

ふうわりと朝顔ひらく

 源氏物語で「朝顔」というとどうしても朝顔の斎院をイメージしてしまいますね。
けれども、今回は、宇治十帖から薫を登場させてみました。

 深く愛していたにもかかわらず、契りを結ぶことなく亡くなった大君を惜しみ、また、その妹中君を、匂宮に譲ってしまったことを悔い、眠れぬ一夜を過ごした薫。夜明けに、ふと、庭の朝顔に目が留まりました。

我が家に毎朝咲く

 

 常よりも、やがてまどろまず明かしたまへる朝に、霧の籬より、花のいろいろおもしろく見えわたるなかに、朝顔のはかなげにてまじりたるを、なほことに目とまるここちしたまふ。「明くる間咲きて」とか常なき世にもなずらふるが、心苦しきなめりかし。格子も上げながら、いとかりそめにうち臥しつつのみ明かしたまへば、この花のひらくるほどをも、ただひとりのみぞ見たまひける。




    やがて薫は起き上がって、その朝顔を持って中君を訪ねることにします。


野辺の朝顔・源氏物語の朝顔はこんな感じ?

これも我が家の朝顔

 出でたまふままに、おりて花の中にまじりたまへるさま、ことさらに艶だち色めきてももてなしたまはねど、あやしく、ただうち見るになまめかしくはづかしげにて、いみじくけしきだつ色好みどもになづらふべくもあらず、おのづからをかしくぞ見えたまひける。朝顔を引き寄せたまふ、露いたくこぼる。
「 今朝の間の色にやめでむ置く露の
        消えぬにかかる花と見る見る
はかな」
とひとりごちて、折りて持たまへり。(宿木の巻)


中君の所を訪れて、この露のかかった朝顔を扇に載せて御簾のうちに差し入れたのでした。
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2017年7月23日日曜日

千年前と同じ声で蝉は鳴く

これはクマゼミ
源氏物語に登場して、結構重要な役割を果たしている蝉が、「ひぐらし」です。数えてみると、なんとひぐらしは全部で五つの場面で登場しています。
 夏の昼下がり、山蔭で甲高く華やかな声で鳴いて昼寝の夢を破る、今も昔も同じです。もっとも、昔は、もっともっとひぐらしも多かったことでしょう。


さて、光源氏が、紫の上の看病にかまけて、長くご無沙汰していた若い妻・女三宮の元を、ひさしぶりで訪れた時のことです。

 昼の御座にうち臥したまひて、御物語など聞こえたまふほどに暮れにけり。すこし大殿籠り入りにけるに、ひぐらしのはなやかに鳴くにおどろきたまひて、「さらば、道たどたどしからぬほどに」とて、御衣などたてまつりなほす。「月待ちて、とも言ふなるものを」と、(女三宮が)いと若やかなるさましてのたまふは、憎からずかし。「その間にも」とやおぼすと、心苦しげにおぼして、立ちとまりたまふ。
     
      (女三宮)夕露に袖濡らせとやひぐらしの
             鳴くを聞く聞く起きてゆくらむ
片なりなる御心にまかせて言ひ出でたまへるもらうたければ、ついゐて、「あな苦しや」と、うち嘆きたまふ。
    
     (源氏)待つ里もいかが聞くらむかたがたに
             心さわがすひぐらしの声(若菜下)


ひぐらしの声に目覚めた源氏が、もう夕暮れになっているのに驚いて、帰ろうとすると、女三宮は「私が涙で袖を濡らして泣くのを置いて、ひぐらしの声を聞きながらお帰りになるのですか」と源氏を引き留めました。源氏は病身の紫の上が気になりながら、結局、この夜は女三宮の元に泊まりました。そして、翌朝、ひとり早く起きて帰ろうとして、柏木が女三宮に宛てた手紙を発見してしまうのです。
 若い妻が、若い男と密通していたことに、源氏は衝撃を受けます。
 もし、女三宮がひぐらしの歌で源氏を引き留めなかったなら、この後の、柏木が死んでしまうという悲劇は起こらなかったかもしれません。

 もうひとつだけご紹介しましょう。
 その柏木が亡くなったあと、柏木の妻であった落葉の宮に、柏木の親友(源氏の息子でもある)夕霧が心を寄せ、妻雲居の雁の怒りをかっていた時のことです。落葉の宮の母から来た手紙を、雲居の雁が奪って隠してしまいます。翌日、
朝から探し回っても見つからず、うっかり夕霧はうたたねをしてしまいます。

 ひぐらしの声におどろきて、山の蔭いかに霧りふたがりぬらむ、あさましや、今日この御返りことをだにと、いとほしうて、ただ知らず顔に硯おしすりて、いかになしてにしかとりなさむと、ながめおはする。御座の奥のすこし上がりたる所を、こころみにひき上げたまへれば、これにさしはさみたまへるなりけりと、うれしうもをこがましうもおぼゆるに、うち笑みて見たまふにかう心苦しきことなむありける。胸つぶれて、一夜のことを心ありて聞きたまうけるとおぼすに、いとほしう心苦し。昨夜だに、いかに思ひ明かしたまうけむ、今日も、今まで文をだにと、いはむかたなくおぼゆ。(夕霧)

 
 ひぐらしの声ではっと目をさまして、昨夜の手紙を再び探し、やっと見つけました。良かったと喜んで文面を見ると、さあたいへん。
 落葉の宮の母君は、先日夕霧が落葉の宮と母の住む山荘に泊まった折に、娘と夕霧は契りを交わしたと誤解し、一夜限りで訪れのないことから、娘は捨てられたのだと思い込んでおられることがわかったのです。夕霧はあわてて弁解の手紙を出しますが、元々病の床にあった母親は絶望し、夕霧を激しく恨んだまま息絶えてしまいます。

 いずれの場合もひぐらしの鳴き声は悲劇の前奏曲になっています。
 寄せては返す波のようなひぐらしの鳴き声は、はなやかながら、どこか悲しい響きがあります。山蔭の道を歩きながらその声を聞くと、切ない郷愁のようなものを感じます。



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2017年7月14日金曜日

祇園祭に源氏物語のかけらを探す

2017.7.13撮影
「京都の夏は祇園祭が連れて来て、送り火が連れて行く」と言われますが、今年も鉾立てが始まった7月10日から、京都は本格的な真夏となりました。
 
 祇園祭(古くは祇園御霊会)の歴史は古く、平安時代869年に始まったと言います。始めは単なる神事であったものが次第に町衆の祭りとなって、南北朝時代頃にはけっこう華やかな祭に発展していたそうです。その後、応仁の乱や引き続く戦、最近では第二次世界大戦などで長い中止もありながら、最近は新たに復興した山鉾もあって、豪華な町衆の祭りとなりました。
 ところで私は祇園祭りが大好き。
 釘は一本も使わずに縄で結び締めるだけで組み立てられる山鉾、その縄目の美しい事!

山鉾下部の縄締め 
放下鉾
周囲が豪華で美しい掛け布で覆われると縄目は見えなくなりますが、その胴掛けや見送りや前掛けも、それぞれに違う時代や国のもので、みていて飽きない。
源氏物語には祇園会は登場しません。けれどもどこかに繋がりはないかと探しました。
 若干牽強付会の誹りは免れませんが、山鉾の屋形の軒などにに下がっている飾り紐、総角結びの紐がありました!

 結ぶという行為には特別なものがあるように思います。そこになにかを結びこめる、魂を、祈りを・・・・・。
菊水鉾
源氏物語にはその名も「総角」の巻があります。宇治十帖です。

  亡くなった父八の宮の法事に備えて、娘二人が総角結びなどの飾り紐を組んでいる所に薫が訪れます。


 御願文つくり、経仏供養ぜらるべき心ばへなど書き出でたまへる硯のついでに、客人(薫のこと)
        あげまきに長き契りをむすびこめ
             おなじ所によりもあはなむ
と書きて見せたてまつりたまへれば、例の、と、うるさけれど、
        ぬきもあへずもろき涙の玉の緒に
             長き契りをいかがむすばむ
とあれば、「あはずは何を」と、うらめしげにながめたまふ。(総角の巻)



蟷螂山


  姉妹の手にしている総角にことよせて、不器用な薫が姉君に思いを伝えます。「総角結びの中に長い契りを結び籠めて、生涯を共にしたいものです」といった意味ですが、姉君は「悲しみの涙にくれて、いつ死ぬかもわからない私に長い契りなど結べるはずもありません」とすげなく答えます。
 総角の組みひものように、姉君と結び合いたいという薫の願いは結局叶えられることはありませんでした。






2017年7月8日土曜日

源氏物語の七夕



 御堂関白記には、7月7日の夜、庭中にお祭りのように人が集まって、「二星会合」を見たという記事があります。この夜は、宮中でも節会の一つ、乞巧奠の儀が行われました。唐から伝わって平安時代には盛んに行われたようです。清涼殿東庭に筵を敷いて、お燈明を捧げ、お香をたき、酒肴果物を供えて、牽牛織女の出会いを祈願し、その出会いを見たそうです。
 この行事は、貴族の家々でも行われたようです。女性たちが裁縫の腕の上達を祈願する祭りでもあったことから、五色の糸を通した針7本を供えたとも言います。
 旧暦7月7日ですから今の暦で言えば、8月中旬。天の川も昔はくっきり見えたのでしょうね。

 白楽天の長恨歌には、楊貴妃亡き後、玄宗皇帝が、かつて、7月7日の夜、二人で永遠の愛を誓い合ったことを想起して涙するという一節がありますが、源氏物語では、眠れぬ夜を過ごした光源氏が、今は亡き紫の上を思って、涙を流しています。

 7月7日も、例に変はりたること多く、御遊びなどもしたまはで、つれづれにながめ暮らしたまひて、星合見る人もなし。まだ夜深う、一所起きたまひて、妻戸を押しあけたまへるに、前栽の露いとしげく、渡殿の戸よりとほりて見わたさるれば、出でたまひて、
  たなばたの逢ふ瀬は雲のよそに見て
       別れのにはに露ぞおきそふ

                (幻の巻)

 星たちは年に一度でもあうことができるが、自分たちはもう逢えないという悲しみ。幻の巻の源氏はどこをとっても、哀切感を漂わせています。




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2017年7月1日土曜日

咲き続ける常夏の花

2017.6.30撮影
「常夏」は初夏から秋まで咲き続ける撫子の花の異名です。源氏物語にも両方の名で何十回も登場する花です。昔はそこらの草むらに多く咲いていたようです。
 実際の花を指しているものも、「撫でし子」と掛詞になることからいとしい子供を指して使われているケースも多く見られます。
 最近あまり見ないなと思っていましたが、気を付けてみると、あちこちのお庭の片隅やプランターでひっそり愛らしい花を付けています。
 
 源氏物語に登場する撫子。二つご紹介しましょう。一つは、頭中将の愛人であった夕顔が、中将の正妻から脅迫じみた仕打ちを受け、行く末を悲観して中将に送って来た手紙。撫子の花に結ばれていました。

「(頭中将が)心には忘れずながら、消息などもせで久しくはべりしに、(夕顔は)むげに思ひしをれて、心細かりければ、をさなき者などもありしに、思ひわづらひて、撫子の花を折りておこせたりし」とて涙ぐみたり。「さてその文のことばは」と(源氏が)問ひたまへば、

「いさや、ことなることもなかりきや。
  『山がつの垣ほ荒るともをりをりに
       あはれはかけよ撫子の露』」

              (帚木の巻)

2017.6.29
「私のことは忘れても、子供のことは忘れないで下さいね」といういじらしい手紙です。これを見て、心配した頭中将は彼女の元を訪ねるのですが、夕顔は恨むそぶりも見せず、深刻な様子もなかったことから、しばらく、また訪ねることもなく放置しておいたため、夕顔は子ども共々姿を消してしまったのです。かわいい女の子だったのにと中将は後悔しますが、見つける事はできませんでした。後の玉鬘です。

 もうひとつは、源氏が、恋い焦がれる義母藤壺に送った手紙(直接は送れないので、藤壺にお仕えする命婦の君というそば仕えの女性にあてて送っています)。これも撫子に添えたものです。

2017.6.30
 御前の前栽の、何となくあをみわたれるなかに、常夏のはなやかに咲き出でたるを折らせたまひて、命婦の君のもとに、書きたまふこと多かるべし。
「 よそへつつ見るに心はなぐさまで
        露けさまさるなでしこの花
花にさかなむと思ひたまへしも、かひなき世にはべりければ」とあり。(紅葉の賀の巻)


 ここでも、「なでしこ」は二人の間にできた子によそえられています。藤壺の産んだ若宮の父親は、実は帝ではなく、源氏。けれども、永久にその愛しい子の父であると名乗ることはできません。庭のなでしこを若宮だと思って眺めても、切ない気持ちはますばかりだと苦しい胸の内を藤壺に訴えています。

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