去年、女郎花や藤袴が自生する野原は今やほとんどなくなったと書きました。
先日、奥上高地周辺でそれを見つけました。
梓川沿いの河原に藤袴が群生、女郎花もあちこちに群れ咲いていました。
ああ、昔は京の周辺にもこういう風景があったのだろうなあと思ったことでした。
女郎花は、古今集の「女郎花多かる野辺に宿りせばあやなくあだの名をや立つべき」というよく知られた歌にもある通り、名前の字面から、魅力的あるいは蠱惑的な女性を象徴する花です。
源氏物語では,なぜか宇治十帖に多く登場します。
薫が明石中宮の女房たちとじゃれ合っている場面をご紹介しましょう。
かたへは几帳のあるにすべり隠れ、あるはうち背き、おしあけたる戸の方にまぎらはしつつゐたる頭つきどもも、をかしと見わたしたまひて、硯ひき寄せて
「女郎花みだるる野辺にまじるともつゆのあだ名をわれにかけめや
心やすくはおぼさで」と、ただこの障子にうしろしたる人に見せたまへば、うちみじろきなどもせず、のどやかに、いととく、
花といえば名こそあだなれ女郎花なべての露にみだれやはする
と書きたる手、ただかたそばなれど、よしづきて、おほかためやすければ、誰ならむ、と見たまふ。(蜻蛉の巻)
薫が、「女遊びなど無縁な私なのにどうして皆さん逃げてしまわれるのですか」と歌を書いて見せるとそこにいた女房も素早く歌を書いて応えています。
「名前が女郎花だからといって、女郎花だってそう簡単に靡いたりしませんわ」
本当に、この時代の人たちは、歌の応酬でいとも軽やかに場を作ったのですね。
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