2017年11月8日水曜日

夕霧が通い、浮舟が暮らした小野の里

源氏物語で、「小野の里」は、夕霧が通った、一条御息所の山荘があった場所として、そして、助けられた後に浮舟が住んだ山里として登場しています。
「小野の里」は、現在の一乗寺、修学院あたりから八瀬大原あたりまでの、比叡山東麓のひろい範囲を指したようです。

一条の御息所の山荘があったのは、修学院あたりかと思われます。夕霧は御息所と一緒に住む娘の落葉の宮が目当てで、小野の里へ足繁く通います。やがて、母御息所は亡くなり、夕霧は、落葉の宮を慰めようと山荘を訪ねます。

九月十余日、野山のけしきは、深く見知らぬ人だにただにやはおぼゆる。山風に堪えぬ木々の梢も、峰の葛葉も、心あわたたしうあらそひ散るまぎれに、尊き読経の声かすかに、念仏などの声ばかりして、人のけはひいと少なう、木枯の吹き払ひたるに、鹿はただ籬のもとにたたずみつつ、山田の引板にもおどろかず、色濃き稲どものなかにまじりてうち鳴くも、愁へ顔なり。(夕霧の巻)


今の修学院、松ヶ崎あたりは、勿論千年前の風景とは変わっているでしょうが、それでも、まだ稲田も残り、田舎の雰囲気をとどめています。鹿も、時々、高野川沿いに下りてきています。
落葉の宮や浮舟も、この、同じ高野川の流れの音を耳にしたのかと思うとちょっと感動します。
高野川を下って来た鹿

宇治から、この小野の里に移り住んだ浮舟はこの山里を風情ある所と感じています。

昔の山里(宇治)よりは、水の音もなごやかなり。(家の)造りざま、ゆゑある所の、木立おもしろく、前栽などもをかしく、ゆゑを尽くしたり。秋になりゆけば、空のけはひあはれなるを、門田の稲刈るとて、所につけたるものまねびしつつ、若き女どもは歌うたひ興じあへり。引板ひき鳴らす音もをかし。(手習の巻)


浮舟の暮らしたこの山荘は、叡山横川に通じる道の下にありましたから、修学院よりもう少し奥の、大原よりの所だったと思われます。本文にも、「かの夕霧の御息所のおはせし山里よりは、今すこし入りて、山に片かけたる家なれば・・・・」とあります。
京を少し離れると稲田があり鹿が鳴いている、というのが、お決まりのイメージで、小野の里とはまさにそういう場所でした。

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