2017年9月5日火曜日

萩の露と消えた紫の上の命

萩の露
常林寺の萩9月5日

 秋待ちつけて、世の中すこしすずしくなりては、御ここちもいささかさはやぐやうなれど、なほともすればかことがまし。(略)
風すごく吹き出でたる夕暮に、(紫の上が)前栽見たまふとて、脇息によりゐたまへるを、院(源氏)わたりて見たてまつりたまひて、「今日は、いとよく起きゐたまへるめるは。この御前(娘の明石中宮の前)にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」と聞こえたまふ。かばかりの隙あるをも、いとうれしと思ひきこえたまへる御けしきを見たまふも、心苦しく、つひにいかにおぼし騒がむ、と思ふに、あはれなれば、おくと見るほどぞはかなきともすれば 風に乱るる萩のうは露



           


 暑かったこの夏もやっと終わり、少し涼しくなって萩の花も咲き始めました。
 紫の上は夏の暑さが苦手で、ずっと体調を崩して寝込んでいたのですが、秋風が立って起き上がれる日もあるようになりました。この日は育ての娘明石中宮が見舞ってくれて、紫の上と二人で語り合っていました。そこに源氏の君がやって来て、「今日は元気そうだね!」と喜ぶのですが、紫の上は自分の体調がそんなに良くはないことを知っていて、「起きているからといっても、萩に置く露とおなじくはかない私の命ですよ」と源氏に語り掛けます。そして、この少しあと、に本当に紫の上の命の火は消えてしまうのです。

 御几帳引き寄せて臥したまへるさまの、常よりもいとたのもしげなく見えたまへば、いかにおぼさるるにか、とて、宮は、御手をとらへたてまつりて、泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露のここちして、限りに見えたまへば、御誦経の使ひども、数も知らず立ち騒ぎたり。さきざきも、かくて生き出でたまふをりにならひたまひて、御もののけと疑ひたまひて、夜一夜さまざまのことをし尽くさせたまへど、かひもなく、明け果つるほどに消え果てたまひぬ。(御法の巻)


 引用が長くなりましたが、私は、この、紫の上の臨終の場面を、萩の花を見る度に思い出します。

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来年3月24日土曜日の午後二時から二条城前の堀川音楽高校で源氏物語に題材をとった公演を予定しています。是非ご予定下さい。
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