2019年9月21日土曜日

源氏物語の夕ぐれと明けぐれ



源氏物語には夕暮れという語は50例近く使われています。何々の夕暮れ、というように場面の背景として多用されています。その一方で、今では使われなくなった明ぐれと言う言葉も十数例使われています。

恋の場面で言えば、夕暮れは、共に一日を過ごした二人が、さらに幸せな夜を重ねようとする時間。


そして明けぐれは、一夜を過ごした後に、男が女のもとを去ってゆく時間です。

夕暮れの場面で一番印象的なのは、源氏の君が、当時、夢中になっていた夕顔という女性を連れ出した荒れた屋敷で迎えた夕暮れではないでしょうか。

たとしへなく静かなる夕の空をながめたまひて、奥のかたは暗うものむつかしと、女は思ひたれば、端の簾を上げて添ひ臥したまへり。夕ばえを見かはして、女もかかるありさまを思ひのほかにあやしきここちはしながら、よろづの嘆き忘れて、すこしうちとけゆくけしき、いとらうたし。《夕顔の巻》 


二人きりで並んで見上げる夕暮れの空。幸せな恋人の姿です。
この後、夜になって夕顔は魔性のものに取り殺されてしまいます。
源氏の君にとって、生涯忘れられない夕暮れになったと思います。



もう一方の明けぐれは、まだ夜の明けきらない暗い朝方。
こんな時間に男が女の元を去って帰ってゆくのは、男が女にあまり魅力を感じていない、あるいは、自分の姿を決して人に見られてはならない、のいずれかです。

前者にあたるのが、源氏の君が、若い新妻女三宮の元を去る時です。彼は、早く元々の妻紫の上の所に戻りたくて、夜明けを待たずして、女三宮の所から帰ってしまいます。

 かの御夢に(紫の上が)見えたまひにければ、うちおどろきたまひて、いかにと心騒がしたまふに、鶏の音も待ち出でたまへれば、夜深きも知らず顔に、急ぎ出でたまふ。(略)明けぐれの空に、雪の光見えて、おぼつかなし。《若菜上》



後者にあたるのは、同じく女三宮の元を、密通相手の柏木青年が去ってゆく時です。
自分でも思いがけず犯してしまった罪に、おののきながらも、柏木の魂は、すっかり、三宮に奪われてしまっています。


 のどかならず立ち出る明けぐれ、秋の空よりも心尽くしなり。

(柏木)おきてゆく空もしられぬ明けぐれにいづくの露のかかる袖なり。

とひき出て愁へきこゆれば、出でなむとするに、すこしなぐさめたまひて、

(女三宮)明けぐれの空に憂き身は消えななむ夢なりけりと見てもやむべく

とはかなげにのたまふ声の、若くをかしげなるを、聞きさすやうにて出でぬる魂は、まことに身を離れてとまりぬるここちす。《若菜下》 


この密通事件は、やがて、源氏の君の知る所となり、柏木はこの儚い恋に身を滅ぼすこととなります。
「明けぐれ」という語にはどうも暗いイメージがつきまとうようです。




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