見わたせば柳桜をこきまぜて
みやこぞ春の錦なりける
古今集の1,100首あまりの歌は春の部から始まります。その中でも一番多いのが、もちろん桜を詠んだもの。
素性法師のこの歌のように満開の桜を詠んだものもありますが、多くは散る桜を惜しむ歌です。
桜ほど命の短い花はありません。今年の桜もあっという間に満開の時を迎えました。
いつ散るかいつ散るかとはらはらするのは王朝人も私たちも同じです。
春雨の降るは涙か桜花
散るを惜しまぬ人しなければ(大伴黒主)
桜に雨はつきもの。散るのを惜しむ人々の涙が雨になって降ってくるのかと黒主は言っています。まさに今日はしとしと春雨が降っているのです。まだ散りはしないでしょうが。
桜花散るぬる風のなごりには
水なき空に波ぞ立ちける(紀貫之)
空一面を覆うかのように、風に舞い散った花弁。今は、、もう花びらは散り果ててしまったけれど、空を見上げれば舞う花びらの残像がまぶたに残る・・・・・花の散った後の青空を見上げると、確かに空高く花びらが舞っていると感じませんか。
春ごとに花のさかりはありなめど
あひ見むことはいのちなりけり(よみ人しらず)
毎年春は巡り来て、桜は必ず咲きます。けれども、それに会うことができるのは、平穏に生きていればこそ。今年の桜には会えなかった友もいます。今年も会えた・・・そう思ってじっと桜を見つめると涙がじわりと湧いてきます。
やどりして春の山辺に寝たる夜は
夢のうちにも花ぞ散りける(紀貫之)
さあ、きょうは今から自転車で桜を見て回ろう!
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