2017年5月30日火曜日

源氏物語に薔薇は咲いたか


 夏の薔薇が咲き誇る頃となりました。薔薇の花ほど人類に愛され続け、手を加えられてきた花はないのではないでしょうか。蕾から開きかけた薔薇は本当に美しい。
 
 源氏物語にもこの花が登場しているだろうかと気になって調べてみました。
 ありました。ただし、たった2回。もちろん、今私たちが見ている薔薇とは随分違う、小さくて地味な花だったと思われます。
 
 父桐壺院が亡くなって、政敵右大臣の時代となり、世を拗ねて遊んでばかりいた光源氏と頭中将。韻ふたぎのゲームに負けた頭中将が源氏を招待してまけわざ(負けた方が勝ったほうを招いてもてなす)をしました。夏の始めのことです。


 ことことしうはあらで、なまめきたる檜破籠ども、賭物などさまざまにて、今日も例の人々多く召して文など作らせたまふ。階のもと、薔薇けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるにうちとけ遊びたまふ。(賢木の巻)



 もう一回薔薇が登場するのは、光源氏が、春夏秋冬の四季の庭を備える六条院を造営した時の、夏の庭の描写の部分です。ここには控えめな女性花散里が住みます。

 北の東は、涼しげなる泉ありて、夏の蔭によれり。前近き前栽、呉竹、下風涼しかるべく、木高き森のやうなる木ども木深くおもしろく、山里めきて、卯の花の垣根ことさらにしわたして、昔おぼゆる花橘、撫子、薔薇、苦丹などやうの、花のくさぐさを植ゑて、春秋の木草、そのなかにうちまぜたり。(少女の巻)


 
 そういえば漢詩にも薔薇は出てきますね。
 いずれにしても、バラではなく「さうび」ですが。



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2017年5月22日月曜日

花橘の頃

2017.5.21撮影 橘の花

古今集の読人知らずの歌

 五月待つ花橘の香をかげば
      昔の人の袖の香ぞする

はあまりにも有名ですが、源氏物語の「花散里」は万葉集にもあります。
 
 橘の花散る里の郭公(ホトトギス)
     片恋しつつ鳴く日しぞ多き

 父桐壺院亡き後、政界の重苦しい空気からひと時逃れようと、源氏は、父院の女御の一人であった麗景殿を訪ねます。
 橘かおる静かな屋敷には、その妹、花散里がともに住んでいるのです。女御と思い出話をし、花散里と心やすらぐひと時を過ごして、源氏は、世の憂さをしばし忘れることができたのでした。


 かの本意の所は、おぼしやりつるもしるく、人目なく、しずかにておはするありさまを見たまふも、いとあはれなり。まづ女御の御方にて昔の御物語などを聞こえたまふに、夜ふけにけり。二十日の月さし出づるほどに、いとど木高きかげども木暗く見えわたりて、近き橘の薫りなつかしくにほひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意あり、あてにらうたげなり。(源氏)

「橘の香をなつかしみ郭公
          花散里をたづねてぞとふ
いにしへのわすれがたきなぐさめには、なほ参りはべりぬべかりけり。」

                      (花散里の巻)


橘の花は地味で、よく見ないと気づかないほどです。爽やかなかおりも強くはなく、近づくと微かにふわりと匂ってきます。花散里と呼ばれる女性の、控えめで知的な雰囲気にぴったりです。



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2017年5月16日火曜日

葵祭にでかける

 
2017.5.15御所
京都の三大祭り、葵祭・祇園祭・時代祭の中で千年前から続いているのはこの葵祭。
 源氏物語の中では、まだ少女だった紫の上が、光源氏に連れられて、この祭りを見に行くことが書かれています。
 今も大変な見物人で一杯ですが、昔も京人はこぞって見物に出かけたようで、光源氏が紫の上を伴って出かけたところ、見物席は一杯で牛車をとめるところもありませんでした。そこに源の内侍という色好みで有名な女房がいて、自分の場所を源氏にゆずってくれました。「あうひ」--なのにあなたとは会えないのねという嫌味の歌を添えて。
 
 牛車に乗っている女性は、どうせ外からは見えないのですが、それでもお洒落してでかけます。この日も、源氏は紫の上の髪を手ずから切って整えてから出かけています。

 今日は、二条の院に離れおはして、祭り見に出でたまふ。西の対にわたりたまひて、惟光に車のこと仰せたり。(略)「君はいざたまへ。もろともに見むよ」とて、御髪の常よりもきよらに見ゆるを、かきなでたまひて、「久しうそぎたまはざめるを、今日はよき日ならむかし」とて(略)「君の御髪は、われそがむ」とて(略)そぎ果てて、「千尋」と祝ひきこえたまふを、少納言(乳母)あはれにかたじけなしと見たてまつる。

そして出かけてみると
2017.5.14撮影フタバアオイ

 今日も、所もなくたちにけり。馬場の大殿のほどに(牛車を)立てわづらひて、上達部の車ども多くて、もの騒がしげなるわたりかなと、やすらひたまふに、よろしき女車の、いたう乗りこぼれたるより、扇をさし出でて、人を招き寄せて、「ここにやは立たせたまはぬ。所避りきこえむ」と聞こえたり。(葵の巻)

 
フタバアオイの花2017.5.14.撮影
四月の中の酉の日が賀茂神社の祭りの日で、今は、五月十五日となっていますが、おおよそその前後であっただろうと思われます。ちょうど葵の花が咲き、葉も美しいころです。
 行列の人々は、冠に葵と桂の葉をつけることになっていたようです。今の行列では冠や牛車に葵の葉をつけています。今年の葵祭は晴天に恵まれて、外国人観光客も多く、賑わっていました。祭儀というよりは、祭りという空気でしたね。ともあれ、千年前からの祭りごとがいまなお引き継がれているのはすごい事と思います。


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2017年5月9日火曜日

藤の花房揺れる頃


藤の花は、王朝人が愛した花の一つ。源氏物語にも藤の宴が複数回描かれています。
 
  ある年、内大臣(もと頭中将)家の藤の宴に、源氏の息子夕霧が招かれました。大臣が、彼を婿として迎える機会としたのです。
 この場面で、藤の花房は、付文を結ぶ枝として使われたり、花婿となる夕霧に注す酒杯に添えられたりしています。夕霧に捧げられた見事な藤の花房は、美しく育った娘雲居の雁の象徴です。
 「我が家の美しい花をあなたに許そう」と大臣が夕霧に告げて来たのです。
 

・・・・四月朔日ごろ、御前の藤の花、いとおもしろう咲き乱れて、世の常の色ならず、ただに見過ごさむこと惜しき盛りなるに、遊びなどしたまひて、暮れゆくほどのいとど色まされるに、頭の中将(柏木)して、御消息あり。・・・
   (内大臣) わが宿の藤の色濃きたそかれに
               尋ねやは来ぬ春の名残を
 げにおもしろき枝につけたまへり。待ちつけたまへるも、心ときめきせられて、かしこまりきこえたまふ。
    
   (夕霧)  なかなかに折りやまどはむ藤の花
              たそかれ時のたどたどしくは
 
 と聞こえて・・・・(誘いを受けた夕霧は、父源氏から借りた衣装で念入りに着飾って内大臣家を訪れます。)
 

 頭中将(柏木)花の色濃く、ことに房長きを折りて、客人(夕霧)の御盃に加ふ。(藤裏葉の巻)


 藤の花房を盃に添えて渡された夕霧は、どんなふうに盃をもったのでしょうか。かなり持ち難かったでしょうね。

 藤波は遠目には美しいけれど、手に取ってみると、あまり優雅な美しさはありません。雲居の雁もそうだったかもしれないなとちょっと思います。

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