2019年7月16日火曜日

晩年の紫の上


厄年の春、重い病の床につき、一時は絶命したかと思われた紫の上でしたが、夏にはなんとか小康状態となりました。

「なんとここまで生き延びたことよ」と庭の蓮の花を見ながら源氏の君と語り合います。

昨日今日かくものおぼえたまふ隙にて、心ことにつくろはれたる遣水、前栽の、うちつけにここちよげなるを見出したまひても、あはれに、今まで経にけるを思ほす。池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを、・・・


源氏の君は、紫の上が、こうして再び起き上がって語り合えるまでになったことを喜び、涙を浮かべます。

「かくて見たてまつるこそ、夢のここちすれ。いみじくわが身さへ限りとおぼゆるをりのありしはや」と、涙を浮けてのたまへば、(紫の上)みづからもあはれにおぼして、
消えとまるほどやは経べきたまさかに蓮の露のかかるばかりを とのたまふ。《若菜下の巻》 


紫の上は、自分の命が長くはない事を自覚していて
「私の命は、たまたま、蓮の露が消え残っているようなものですから、これからそう長くは生きられそうにもないのですよ」と言います。事実、この後、紫の上は完全に健康を取り戻すことは無く、4年後には亡くなったのでした。

若いころの、華やかで艶やかな紫の上の姿は桜によそえられていますが、病に倒れてからの、透き通るような美しさは、すっくと立つ一輪の蓮の花の姿に通じるものがあると思います。






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