2017年5月16日火曜日

葵祭にでかける

 
2017.5.15御所
京都の三大祭り、葵祭・祇園祭・時代祭の中で千年前から続いているのはこの葵祭。
 源氏物語の中では、まだ少女だった紫の上が、光源氏に連れられて、この祭りを見に行くことが書かれています。
 今も大変な見物人で一杯ですが、昔も京人はこぞって見物に出かけたようで、光源氏が紫の上を伴って出かけたところ、見物席は一杯で牛車をとめるところもありませんでした。そこに源の内侍という色好みで有名な女房がいて、自分の場所を源氏にゆずってくれました。「あうひ」--なのにあなたとは会えないのねという嫌味の歌を添えて。
 
 牛車に乗っている女性は、どうせ外からは見えないのですが、それでもお洒落してでかけます。この日も、源氏は紫の上の髪を手ずから切って整えてから出かけています。

 今日は、二条の院に離れおはして、祭り見に出でたまふ。西の対にわたりたまひて、惟光に車のこと仰せたり。(略)「君はいざたまへ。もろともに見むよ」とて、御髪の常よりもきよらに見ゆるを、かきなでたまひて、「久しうそぎたまはざめるを、今日はよき日ならむかし」とて(略)「君の御髪は、われそがむ」とて(略)そぎ果てて、「千尋」と祝ひきこえたまふを、少納言(乳母)あはれにかたじけなしと見たてまつる。

そして出かけてみると
2017.5.14撮影フタバアオイ

 今日も、所もなくたちにけり。馬場の大殿のほどに(牛車を)立てわづらひて、上達部の車ども多くて、もの騒がしげなるわたりかなと、やすらひたまふに、よろしき女車の、いたう乗りこぼれたるより、扇をさし出でて、人を招き寄せて、「ここにやは立たせたまはぬ。所避りきこえむ」と聞こえたり。(葵の巻)

 
フタバアオイの花2017.5.14.撮影
四月の中の酉の日が賀茂神社の祭りの日で、今は、五月十五日となっていますが、おおよそその前後であっただろうと思われます。ちょうど葵の花が咲き、葉も美しいころです。
 行列の人々は、冠に葵と桂の葉をつけることになっていたようです。今の行列では冠や牛車に葵の葉をつけています。今年の葵祭は晴天に恵まれて、外国人観光客も多く、賑わっていました。祭儀というよりは、祭りという空気でしたね。ともあれ、千年前からの祭りごとがいまなお引き継がれているのはすごい事と思います。


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2017年5月9日火曜日

藤の花房揺れる頃


藤の花は、王朝人が愛した花の一つ。源氏物語にも藤の宴が複数回描かれています。
 
  ある年、内大臣(もと頭中将)家の藤の宴に、源氏の息子夕霧が招かれました。大臣が、彼を婿として迎える機会としたのです。
 この場面で、藤の花房は、付文を結ぶ枝として使われたり、花婿となる夕霧に注す酒杯に添えられたりしています。夕霧に捧げられた見事な藤の花房は、美しく育った娘雲居の雁の象徴です。
 「我が家の美しい花をあなたに許そう」と大臣が夕霧に告げて来たのです。
 

・・・・四月朔日ごろ、御前の藤の花、いとおもしろう咲き乱れて、世の常の色ならず、ただに見過ごさむこと惜しき盛りなるに、遊びなどしたまひて、暮れゆくほどのいとど色まされるに、頭の中将(柏木)して、御消息あり。・・・
   (内大臣) わが宿の藤の色濃きたそかれに
               尋ねやは来ぬ春の名残を
 げにおもしろき枝につけたまへり。待ちつけたまへるも、心ときめきせられて、かしこまりきこえたまふ。
    
   (夕霧)  なかなかに折りやまどはむ藤の花
              たそかれ時のたどたどしくは
 
 と聞こえて・・・・(誘いを受けた夕霧は、父源氏から借りた衣装で念入りに着飾って内大臣家を訪れます。)
 

 頭中将(柏木)花の色濃く、ことに房長きを折りて、客人(夕霧)の御盃に加ふ。(藤裏葉の巻)


 藤の花房を盃に添えて渡された夕霧は、どんなふうに盃をもったのでしょうか。かなり持ち難かったでしょうね。

 藤波は遠目には美しいけれど、手に取ってみると、あまり優雅な美しさはありません。雲居の雁もそうだったかもしれないなとちょっと思います。

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2017年4月28日金曜日

源氏物語:紫の上の愛した桜



仏隆寺のエドヒガン桜、千年桜とも(2017.4.23撮影)
  紫の上は、その容姿を桜に擬せられただけではなく、自身も、桜を殊の外好みました。
 中でも最も好んだのが、他の桜が終わった後に咲く、遅咲きのヤマザクラだったのではないかと私は思っています。
 当時は、今のソメイヨシノは存在しなかったので、様々なヤマザクラが、京を彩っていたことと思われます。ヤマザクラは、花の種類が非常に多く、また開花時期も様々です。
 
 紫の上から「私が亡くなった後、この桜を愛してね」と言われていた孫の匂宮。紫の上が亡くなった翌年の春、咲いたその桜を見て、源氏に向かって、「何とかしてこの桜が散らないようにしたい」と言います。

(匂宮)「まろが桜は咲きにけり。いかで久しく散らさじ。木のめぐりに張を立て、帷を上げずは、風もえ吹き寄らじ」と、かしこく思ひ得たり、と思ひてのたまふ顔のいとうつくしきのも、(源氏は)うち笑まれたまひぬ。(幻の巻)


 春の景色も涙に霞む嘆きの日々を送る源氏には、紫の上が可愛がって育てていた、この匂宮だけが、心の慰めでした。
 紫の上が大切にしていて、匂宮に託した「まろが桜」はこの仏隆寺の桜のような樹だったのではないでしょうか。
 
 そして、一方、紫の上の容姿に擬せられたのは、紅の若葉が照り映えるすらりと伸びたヤマザクラだったと思われます。屏風岩のヤマザクラはまさに紫の上の匂い立つような華やかな姿にぴったりだと思います。
屏風岩のヤマザクラ(2017.4.23撮影)
  


 紫の上は、庭に様々な種類の桜を植えて、春の間中、次々に咲く桜を愛でたとあります。他の庭では桜が散り果てた後も、紫の上の庭にだけは、まだ桜が咲き誇っていたとあります。私も四月下旬まで、今年の桜を楽しみました。


屏風岩のヤマザクラ(2017.4.23撮影)





2017年4月21日金曜日

春たけなわ

神泉苑 龍頭の船
春たけなわのころ、光源氏は龍頭鷁首の船を新たに作って 池に浮かべ、船楽を催した。

 

 龍頭鷁首を、唐のよそひにことことしうしつらひて、梶取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池の中にさし出でたれば、・・(略)・・こなたかなた霞みあひたる梢ども、錦を引きわたせるに、御前のかたははるばると見やられて、色をましたる柳、枝を垂れたる、花もえもいはぬにほひを散らしたり。ほかには盛りすぎたる桜も、今盛りにほほゑみ、廊をめぐれる藤の色もこまやかに開けゆきにけり。まして池の水に影をうつしたる山吹、岸よりこぼれていみじき盛りなり。(胡蝶の巻)


 唐土風に飾り立てた船が、芽吹く樹々が風景を霞ませるなかを漕いでゆく。船を漕ぐ童までも、中国風の装いをしている。岸辺は柳や桜、藤や山吹に彩られ・・・。夢のような光景を光源氏と紫の上は並んで見ている。船では音楽が奏でられ、乗り込んだ若い女房たちが美しく装ってうっとりと池から見る景色に酔いしれている。
 紫の上が一番幸せだった時期。
 柳の緑が濃くなり、青紅葉が美しいこの時期になると、私は、いつもこの場面を思い浮かべる。



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2017年4月16日日曜日

幾千本のさくら散る散る・・・

山桜もソメイヨシノも一気に咲いたこの春。霞か雲かと目を疑うような桜色に世の中が染まった。そして、今、降りしきる花びら。源氏物語の中で、「散る桜」と言えばこの場面。

(夕霧の)ものきよげなるうちとけ姿に花の雪のやうに降りかかれば、うち見上げて、しをれたる枝すこし押し折りて、御階の中のしなのほどにゐたまひぬ。督の君(柏木)続きて、「花、乱りがはしく散るめりや。桜は避きてこそ」などのたまひつつ、宮(女三宮)の御前のかたを後目に見れば、例のことにをさまらぬけはひどもして、色々こぼれ出でたる御簾のつま、透影など、春の手向けの幣袋にやとおぼゆ。(若菜上の巻)


 寝殿の階段に座る夕霧と柏木の上に降りしきる桜の花。

 源氏の邸宅の庭に若い貴公子たちが集まって蹴鞠をした折のことです。競技に疲れた二人は、一休みしようと、きざはしに腰かけたのです。たまたまその時に女三宮の部屋から猫が走り出て御簾がもちあがるという事件が起こりました。そして、柏木は、桜吹雪のむこうに女三宮の姿を見てしまうのです。この垣間見が柏木の運命を狂わせました。乱れ散る桜は狂気をはらんでいるようにも思えます。

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2017年4月7日金曜日

みやこぞ春の

見わたせば柳桜をこきまぜて
        みやこぞ春の錦なりける


 古今集の1,100首あまりの歌は春の部から始まります。その中でも一番多いのが、もちろん桜を詠んだもの。
素性法師のこの歌のように満開の桜を詠んだものもありますが、多くは散る桜を惜しむ歌です。

 桜ほど命の短い花はありません。今年の桜もあっという間に満開の時を迎えました。
 いつ散るかいつ散るかとはらはらするのは王朝人も私たちも同じです。

春雨の降るは涙か桜花
       散るを惜しまぬ人しなければ(大伴黒主)


 桜に雨はつきもの。散るのを惜しむ人々の涙が雨になって降ってくるのかと黒主は言っています。まさに今日はしとしと春雨が降っているのです。まだ散りはしないでしょうが。

桜花散るぬる風のなごりには
       水なき空に波ぞ立ちける(紀貫之)


 空一面を覆うかのように、風に舞い散った花弁。今は、、もう花びらは散り果ててしまったけれど、空を見上げれば舞う花びらの残像がまぶたに残る・・・・・花の散った後の青空を見上げると、確かに空高く花びらが舞っていると感じませんか。

春ごとに花のさかりはありなめど
       あひ見むことはいのちなりけり(よみ人しらず)


毎年春は巡り来て、桜は必ず咲きます。けれども、それに会うことができるのは、平穏に生きていればこそ。今年の桜には会えなかった友もいます。今年も会えた・・・そう思ってじっと桜を見つめると涙がじわりと湧いてきます。

やどりして春の山辺に寝たる夜は
      夢のうちにも花ぞ散りける(紀貫之)


さあ、きょうは今から自転車で桜を見て回ろう!

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2017年3月31日金曜日

ああ、桜の頃・桜の人紫の上

屏風岩の桜(昨春)
桜に心が騒ぐのは、私たちが、王朝人と同じ心をもっているから――― 知らず知らずのうちに、古今和歌集に根差す美意識に支配されているからだと私は思っています。

 光源氏の息子夕霧は、ある朝、たまたま、義母紫の上を垣間見る機会を得ました。

 見通しあらはなる廂の御座にゐたまへる人、ものにまぎるべくもあらず、気高くきよらに、さちにほふここちして、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見るここちす。

                     (野分の巻)

 義母の姿を初めて見た夕霧は、その美しさに魂を奪われ、父が決して紫の上を自分と会わせてくれなかった理由を理解したのでした。

 
 光源氏のほうは、女楽の夕べに紫の上の姿を覗き見て

 紫の上は、・・・・・様体あらまほしく、あたりににほひ満ちたるここちして、花といはば桜にたとへても、なほものよりすぐれたるけはひことにものしたまふ。

                       (若菜下の巻)

と最高の花である桜に擬しつつも、それ以上の素晴らしさだと手放しで賞賛しています。
千本釈迦堂の枝垂れ桜(昨春)

 早咲きの河津桜はすでに散り果て、これから次々に、いろいろな種類の桜が咲きます。御所の枝垂れ、岡崎の早咲きの桜はもう咲いているかもしれない・・・・。あの桜もこの桜も・・・と気の急く日が続きます。雨はなるべく降らないでほしいもの。
 
 ところで、京都は日本一桜の多い都市ではないかとこの頃感じています。


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