2019年12月10日火曜日

紅葉を味わい尽くした王朝人



王朝人は、四季折々の自然の風物を愛し、ことに、秋の紅葉は味わい尽くしたと以前にもこのブログに書きました。

今日はその紅葉をお皿や箱に敷いて、その上に食べ物を載せて楽しんでいる場面を紹介しましょう。いずれも宇治が舞台です。


一つ目は、匂宮が宇治に紅葉狩りに出かけた折りのことです。
ちょうど網代に氷魚が集まる頃だというので、薫はじめ、貴族の子弟たちを引き連れて出かけました。隙を見て対岸の宇治の院に姫君を訪ねようと言う心づもりでした。

その時、宮の一行をもてなすために、色とりどりの紅葉を敷き詰めたお皿に、とれたての氷魚が載せられて供されたのです。

風情があると言って皆大喜びだったので、宮も調子を合わせて楽しそうにはしてみせるものの、お目当ての宇治の姫君を訪ねる隙を見つけることのできない宮は、一人鬱々としていたのでした。

宮はましていぶせくわりなしとおぼすこと限りなし。網代の氷魚も心寄せたてまつりて、いろいろの木の葉にかきまぜもてあそぶを、下人などはいとをかしきことに思へれば、人に従ひつつ、心ゆく御ありきに、みづからの御ここちは胸のみつとふたがりて、空をのみながめたまふに・・・《総角の巻》 

その紅葉狩りの翌々年の秋のことです。
すでに、宇治の姫君は二人ともいなくなっています。姉は亡くなり、妹は匂宮の妻となって京へ去ってしまったからです。
姫不在となったその宇治の院に、薫は姉妹の腹違いの妹浮舟を隠し棲ませようと連れてきました。

その薫をもてなすために、院に元から住んでいた尼君が、食事の後に用意して出したのは、硯の箱の蓋に敷いた紅葉に載せたおつまみでした。
紅葉の下には紙が敷かれていて、そこには今は亡き姉君の替わりのように、新しい女性(浮舟)を連れて来た薫を暗に恨む歌が書かれていました。
大君中君の姉妹にお仕えしてきた尼君の、せめてもの抵抗でした。


尼君の方よりくだもの参れり。箱の蓋に紅葉、蔦など折り敷きて、ゆゑなからず取りまぜて、敷きたる紙に、ふつつかに書きたるもの、隈なき月にふと見ゆれば、目とどめたまふほどに・・・・《東屋の巻》


宇治十帖は、こころなし、秋の場面が多いような気がします。大君・浮舟の悲しい運命が描かれているからでしょうか。


ともあれ、このようにして、

王朝人は、赤や黄に色づいた木の葉を、ただ見るだけでなく、お皿や箱に敷いたりもして、風情を楽しんだのでした。





2019年11月25日月曜日

薫の通った落葉の道




京から宇治へは、木幡の山を越えてゆかねばなりません。
薫は、宇治に住む叔父八の宮を人生の師と仰ぎ、しばしば宇治へ通いました。
ある時、宮を訪ねてゆくと、たまたま宮は留守で、二人の娘、大君と中君を垣間見する機会を得たのです。
山路を馬で越えてゆく場面をご紹介しましょう。


中将の君(薫)、久しく参らぬかなと、思ひ出できこえたまひけるままに、有明の月の、まだ夜深くさし出づるほどに出で立ちて、いと忍びて、御供に人などもなくて、やつれておはしけり。川のこなたなれば、船などもわづらはで、御馬にてなりけり。入りもてゆくままに霧りふたがりて、道も見えぬ繁き野中を分けたまふに、いと荒ましき風のきほひに、ほろほろと落ち乱るる木の葉の露の散りかかるも、いと冷ややかに、人やりならずいたく濡れたまひぬ。かかるありきなどもをさをさならひたまはぬここちに、心細くもをかしくもおぼされけり。《橋姫の巻》 


夜中に、暗い山道を落葉を踏みしだきながら越えてゆくのです。
身分柄、人目につかぬように、数名の御供だけを連れて、馬で出かけたとあります。
なぜか王朝人は夜行性です。いつ寝るのかしらと思ったりします。

この時も、薫が宇治の山荘についてみると、姫君たちは起きていて、二人で月を見ながら、琴と琵琶を弾いているところでした。
宮は不在と知った薫は、良い機会だとばかりに、姉妹の姿を物陰からしっかり見たのでした。



これがきっかけになって、薫の大君への厄介な恋がはじまったのでした。


2019年10月16日水曜日

源氏物語の秋の花





紫式部は、植物に非常に関心を寄せていた、というより「花が好きだった」と思われます。
源氏物語には、非常に多くの植物が登場しています。
秋の花としては、撫子、菊が最も多く20回近く出てきます。次に多いのは、女郎花、朝顔。それ以外では萩とか藤袴、吾亦紅も出てくるのですが、吾亦紅は一回だけ、藤袴も2回だけとちょっとさびしいですね。


一昨年のブログでも、同じ本文を引用しましたが、もう一度。
匂宮が、世の人の愛でる女郎花や萩には興味を示さず、香のある菊と藤袴、吾亦紅を偏愛したという箇所です。
因みに吾亦紅には、香はないのですが、「吾木香」とも書くところから、「香」と結び付けたのでしょうね。

(匂宮は)秋は世の人のめづる女郎花、小牡鹿の妻にすめる萩の露にも、をさをさ御心移したまはず、老を忘るる菊に、おとろへゆく藤袴、ものげなきわれもかうなどは、いとすさまじき霜枯れのころほひまでおぼし捨てずなど、わざとめきて、香にめづる思ひをなむ、立てて好ましうおはしける。《匂兵部卿の巻》


紫式部は自宅の庭にはどんな草花を植えていたのだろうかと想像してみています。







2019年10月12日土曜日

明石君と龍胆


王朝時代の女性たちは、自由に野山を散歩することはできませんでした。
その分、お庭に植える草花には凝り、大切にしていたようです。

野分が吹くとその草花が心配で、気をもんだことが源氏物語にも描かれています。


野分、例の年よりもおどろおどろしく、空の色変わりて吹き出づ。花どものしをるるを、いとさしも思ひしまぬ人だに、あなわりなと思ひ騒がるるを、まして、(秋好中宮様は)草むらの露の玉の緒乱るるままに、御心まどひもしぬべくおぼしたり。暮れゆくままに、ものも見えず吹きまよはして、いとむくつけければ、御格子など参りぬるに、うしろめたくいみじと、花の上をおぼし嘆く。《野分の巻》 


秋の草花を愛し、庭に多くの美しい花を咲かせていた秋好中宮が、夜になって吹き荒れる風に心を痛めています。
どんな花を植えていたのでしょうね。女郎花や藤袴、萩、桔梗などでしょうか。

具体的な花の名前が出てくるのは、同じ野分の巻の明石の君の庭です。野分の翌日の朝、乱れた植栽を人々が手入れしています。

馴れたる下仕へどもぞ、草の中にまじりてありく。童女など、をかしき衵姿うちとけて、(明石君が)心とどめて取り分き植ゑたまふ龍胆、朝顔のはいまじれる籬も、みな散り乱れたるを、とかく引き出で尋ぬるなるべし。 


控えめで、常に謙虚であり続けた明石の君が、龍肝(りんどう)を特に愛して植えていたとあります。
いかにも明石の君にふさわしい花ではありませんか。当時の龍肝は、今の、園芸種のものとは違うもっと小さく地味な花だったと思われるので余計ぴったりです。




2019年9月21日土曜日

源氏物語の夕ぐれと明けぐれ



源氏物語には夕暮れという語は50例近く使われています。何々の夕暮れ、というように場面の背景として多用されています。その一方で、今では使われなくなった明ぐれと言う言葉も十数例使われています。

恋の場面で言えば、夕暮れは、共に一日を過ごした二人が、さらに幸せな夜を重ねようとする時間。


そして明けぐれは、一夜を過ごした後に、男が女のもとを去ってゆく時間です。

夕暮れの場面で一番印象的なのは、源氏の君が、当時、夢中になっていた夕顔という女性を連れ出した荒れた屋敷で迎えた夕暮れではないでしょうか。

たとしへなく静かなる夕の空をながめたまひて、奥のかたは暗うものむつかしと、女は思ひたれば、端の簾を上げて添ひ臥したまへり。夕ばえを見かはして、女もかかるありさまを思ひのほかにあやしきここちはしながら、よろづの嘆き忘れて、すこしうちとけゆくけしき、いとらうたし。《夕顔の巻》 


二人きりで並んで見上げる夕暮れの空。幸せな恋人の姿です。
この後、夜になって夕顔は魔性のものに取り殺されてしまいます。
源氏の君にとって、生涯忘れられない夕暮れになったと思います。



もう一方の明けぐれは、まだ夜の明けきらない暗い朝方。
こんな時間に男が女の元を去って帰ってゆくのは、男が女にあまり魅力を感じていない、あるいは、自分の姿を決して人に見られてはならない、のいずれかです。

前者にあたるのが、源氏の君が、若い新妻女三宮の元を去る時です。彼は、早く元々の妻紫の上の所に戻りたくて、夜明けを待たずして、女三宮の所から帰ってしまいます。

 かの御夢に(紫の上が)見えたまひにければ、うちおどろきたまひて、いかにと心騒がしたまふに、鶏の音も待ち出でたまへれば、夜深きも知らず顔に、急ぎ出でたまふ。(略)明けぐれの空に、雪の光見えて、おぼつかなし。《若菜上》



後者にあたるのは、同じく女三宮の元を、密通相手の柏木青年が去ってゆく時です。
自分でも思いがけず犯してしまった罪に、おののきながらも、柏木の魂は、すっかり、三宮に奪われてしまっています。


 のどかならず立ち出る明けぐれ、秋の空よりも心尽くしなり。

(柏木)おきてゆく空もしられぬ明けぐれにいづくの露のかかる袖なり。

とひき出て愁へきこゆれば、出でなむとするに、すこしなぐさめたまひて、

(女三宮)明けぐれの空に憂き身は消えななむ夢なりけりと見てもやむべく

とはかなげにのたまふ声の、若くをかしげなるを、聞きさすやうにて出でぬる魂は、まことに身を離れてとまりぬるここちす。《若菜下》 


この密通事件は、やがて、源氏の君の知る所となり、柏木はこの儚い恋に身を滅ぼすこととなります。
「明けぐれ」という語にはどうも暗いイメージがつきまとうようです。




2019年9月7日土曜日

源氏物語に登場する鳥



物語の中には、「鳥」という語が結構多く出てきますが、大部分は「鶏」のことで、つまり、夜明けを告げるものとしての鶏の声です。

それ以外で、具体的に出て来る鳥の名前は、雀、烏、鷹、雁、鶯、梟、千鳥、鳩くらいだと思います。水鳥というのも何回かでてきます。
いずれにしても、今、私たちの周りにいる鳥たちと変わらないようです。

雀と烏が登場するのは、あの、良く知られた場面、源氏の君が、北山で、若紫を見初める場面です。

鳥の写真はなかなかうまくとれません

髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。「何ごとぞや。童女と腹立ちたまへるか」とて、尼君の見上げたるに、すこしおぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠のうちに籠めたりつるものを」とて、いとくちをしと思へり。このゐたる大人、「例の心なしの、かかるわざをしてさいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづかたへかまかりぬる。いとをかしうやうやうなりつるものを。烏などもこそ見つくれ」とて立ちてゆく。《若紫の巻》 


鳩が登場するのは、夕顔の巻。某の院で、夜、鳩が鳴いて、その鳴き声を、夕顔が怖がったとあります。

竹の中に家鳩といふ鳥の、ふつつかに鳴くを聞きたまひて、かのありし院にこの鳥の鳴きしを、いと恐ろしと思ひたりしさまの、おもかげにらうたく思ほしいでらるれば・・・・《夕顔の巻》 


単に「鳥」とある時はどんな鳥なのでしょうか。

例えば、源氏の君が明石の君に贈った着物の柄は、蝶と鳥が飛び交う絵柄で、それを見た紫の上が、明石の君の美しさを想像して、密かに嫉妬しています。

絵合の巻では、御前での絵合わせの後、宴が一晩中続いて、夜明けになったとあり、ここでは、朝を知らせるのが、鶏の鳴き声ではなく、鳥のさえずりになっています。

和琴、権中納言賜りたまふ。さはいへど、人にまさりて掻きたてたまへり。親王、筝の御琴、大臣、琴、琵琶は少将の命婦つかうまつる。上人のなかにすぐれたるを召して、拍子賜はす。いみじうおもしろし。明け果つるままに、花の色も人の御容貌などももほのかに見えて、鳥のさへづるほど、ここちゆき、めでたき朝ぼらけなり。《絵合の巻》 


雅な楽の音にニワトリの声は似合いませんものね。

2019年8月26日月曜日

Roudoku Duo 凛 朗読会のお知らせ

                              Photo てんどう


Roudoku Duo
岸本 久美子 磯﨑 敬子
ピアノ  角 香織
言葉の森の小径をゆく

―作品世界を朗読とピアノの響きにのせて― 


日時   2019年 1117日(日)
      10:2012:00 (開場1000

場所   メルパルク KYOTO 7F

   スタジオ ペガサス


【 演目 】

家霊
(岡本かの子作)
岸本久美子


角筈にて
(浅田次郎作)
磯﨑 敬子


ピアノ  角 香織


座席の都合がありますので、ご来場いただける方は
下記までご連絡ください。
Roudoku Duo凛 事務局】
08038413746

(メルパルク京都 JR京都駅すぐ)





2019年8月20日火曜日

桂の木陰


桂は今も身近な木で、よく見かけます。ハート型の愛らしい葉っぱをたくさん付けて夏には深い木陰を作ってくれます。



源氏物語の時代にも桂は人々に親しまれた木でした。
葵祭の時は冠などに葵の葉と桂の葉を飾る習わしがありましたし、また、月には桂の木が生えているとも信じられていました。
もちろん庭にも植えられていて、大きく広げた枝の下で王朝人も立ち話をしたりしたかもしれません。
ある晩、源氏の君が、通りがかりにふと立ち寄った昔の恋人の家にも桂の木がありました。

中川のほどおはし過ぐるに、ささやかなる家の、木立などよしばめるに、よく鳴る琴をあづまに調べて、掻きあはせ、にぎははしく弾きなすなり。御耳とまりて、門近なる所なれば、すこしさし出でて見入れたまへば、大きなる桂の木の追ひ風に、祭のころおぼし出でられて、そこはかとなくけはひをかしきを、ただ一目見たまひし宿なりと見たまふ。《花散里の巻》

 
この時は門の中に入って、女に声を掛けるのですが、長い無沙汰のせいか、女はわざと誰かわからないふりをして源氏の君の訪問を拒否します。源氏の君もいつも女性に歓迎されたというわけではないのです。

もう一つ庭の桂が出て来る場面をご紹介しましょう。
「玉鬘」という女性は六条院に源氏の娘ということで暮らしています、実は、彼女は、内大臣(かつての頭の中将)の娘なのです。

そのことが明らかにされた後、玉鬘の元へ、父大臣の使いとしてやってきた柏木青年。
そっと桂の木に隠れています。玉鬘が、実は自分と血のつながった姉であることを知らずに熱心に熱烈な恋文を出してきたという事情があり、ちょっと照れ臭いのです。


頭中将(柏木)、心を尽くしわびしことは、かき絶えにたるを、うちつけなりける御心かなと、人々はをかしがるに、殿(内大臣)の御使にておはしたり。なほもて出でず、忍びやかに御消息なども聞こえかはしたまひければ、月の明き夜、桂の蔭に隠れてものしたまへり。《藤袴の巻》




2019年8月1日木曜日

「撫子」のその後

この夏もあちこちに撫子の花が咲きました。

帚木の巻で「撫子」として登場した玉鬘はその後、源氏の君の元に引き取られ、源氏の邸、六条院の[花]として、多くの貴公子たちを惹きつけています。
(玉鬘は、実は頭中将の娘なのですが、世間には、源氏の娘ということにしてあります。)

庭には、美しい撫子の花を多く咲かせ、花々の奥にいる玉鬘を連想させようという源氏の君の心組みです。

撫子は小さいけれど群れて咲きますし、色鮮やかな華やかなものですから、ぱっと明るい玉鬘という女性をイメージさせるには適しています。

御前に、乱れがはしき前栽なども植えさせたまはず、撫子の色をととのへたる、唐の大和の、籬いとなつかしく結ひなして、咲き乱れたる夕ばえいみじく見ゆ。皆立ち寄りて、心のままにも折り取らぬを飽かず思ひつつやすらふ。《常夏の巻》


咲き乱れる撫子を手折ることができない・・・・つまり玉鬘を手に入れることができないのを残念に思いながら、貴公子たちは庭先をうろうろ歩いているのでした。
その中には、実は血のつながる兄弟である、ということを知らない柏木なども混じっています。

美しいと評判の女性玉鬘に憧れ、心を尽くす若者たちの姿を見て、ほくそえむ光源氏は、かなり嫌なおじさんの役を演じています。


2019年7月16日火曜日

晩年の紫の上


厄年の春、重い病の床につき、一時は絶命したかと思われた紫の上でしたが、夏にはなんとか小康状態となりました。

「なんとここまで生き延びたことよ」と庭の蓮の花を見ながら源氏の君と語り合います。

昨日今日かくものおぼえたまふ隙にて、心ことにつくろはれたる遣水、前栽の、うちつけにここちよげなるを見出したまひても、あはれに、今まで経にけるを思ほす。池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを、・・・


源氏の君は、紫の上が、こうして再び起き上がって語り合えるまでになったことを喜び、涙を浮かべます。

「かくて見たてまつるこそ、夢のここちすれ。いみじくわが身さへ限りとおぼゆるをりのありしはや」と、涙を浮けてのたまへば、(紫の上)みづからもあはれにおぼして、
消えとまるほどやは経べきたまさかに蓮の露のかかるばかりを とのたまふ。《若菜下の巻》 


紫の上は、自分の命が長くはない事を自覚していて
「私の命は、たまたま、蓮の露が消え残っているようなものですから、これからそう長くは生きられそうにもないのですよ」と言います。事実、この後、紫の上は完全に健康を取り戻すことは無く、4年後には亡くなったのでした。

若いころの、華やかで艶やかな紫の上の姿は桜によそえられていますが、病に倒れてからの、透き通るような美しさは、すっくと立つ一輪の蓮の花の姿に通じるものがあると思います。